20年も名古屋に住んでいながら、鳴海・有松へ行ったことがなかった。
小学校のころ、教室で蚕を買っていた。クラスのだれかかれかが桑の葉を毎日持って来て、ちやんと繭を作るようになった。
繭をなにやら煮立たてたところまでは覚えているけれど、果たして糸になったのだろうか。
それから、豆腐も作った。ニガリを入れたら、固まってきたのを覚えている。
戦後の混乱のなか、いろんなことを先生はよく教えてくださったものだ。
中学では、家庭科で絞り染めをした。布をつまんで糸を巻き、染めてから、糸をほどくと、そこだけ白い絞り染めができた。
それから幾十年かが経ちまして、10年ほど前にはじめて訪れた。
鳴海は東海道53次の40番目の宿場町でもあり、広重の絵にもある。
ネットより
たまたま撮ったんだけれど、町並が似てないかしら。
なにやら縁りのありそうな場所、メモってないから、もう覚えていない。
ピンクの総絞りの着物だか羽織だか母が買ってくれたけれど、ほとんど着ないままに、押入れのどこかに眠っているはず。
土産物用のハンカチはよく使ったのでくしゃくしゃ。よって小さい写真で。
これは、うだつの高さがよく分かる
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小学校のころ、教室で蚕を買っていた。クラスのだれかかれかが桑の葉を毎日持って来て、ちやんと繭を作るようになった。
繭をなにやら煮立たてたところまでは覚えているけれど、果たして糸になったのだろうか。
それから、豆腐も作った。ニガリを入れたら、固まってきたのを覚えている。
戦後の混乱のなか、いろんなことを先生はよく教えてくださったものだ。
中学では、家庭科で絞り染めをした。布をつまんで糸を巻き、染めてから、糸をほどくと、そこだけ白い絞り染めができた。
それから幾十年かが経ちまして、10年ほど前にはじめて訪れた。
鳴海は東海道53次の40番目の宿場町でもあり、広重の絵にもある。
ネットより
たまたま撮ったんだけれど、町並が似てないかしら。
なにやら縁りのありそうな場所、メモってないから、もう覚えていない。
ピンクの総絞りの着物だか羽織だか母が買ってくれたけれど、ほとんど着ないままに、押入れのどこかに眠っているはず。
土産物用のハンカチはよく使ったのでくしゃくしゃ。よって小さい写真で。
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