先だっては、旧満洲で起きた葛根廟事件についてのお知らせをありがとうございます。ドキュメンタリー映画になっているとは存じませんでした。
ようやく物置からアルバムが出してもらったので、アップします。
見出し写真が葛根廟(かっこんびょう)です。300年も続いていた葛根廟は文化大革命で壊され、以前の100分の1の規模、最盛期は1000人のラマ僧が修行していたそうです。
ソ連軍が満洲へ侵攻してきたとき、この辺りも戦場となり、何人かの軍人が亡くなりました。同行者のシニア女性の弟さんが、この辺りで亡くなったそうです。
そして興安街(現ウランホト)に住んでいた日本の民間人1000人余りが避難するところをソ連軍は機銃掃射、戦車による蹂躙という惨劇、ジェノサイドがありました。
文化大革命で壊された瓦礫です。政府の目がうるさいので、みんな散策しているふりをして、ということで、お一人が小声でお経を読まれるのを歩きながら黙祷しました。
上記写真は、1997年に訪れたときのものです。(赤茶けていてすみません)
3年後の2000年に行ったときは、土産物屋までできて、賑やかになってました。
可愛い少年僧たちがいたので、一緒に写真を撮ることにしました。そこへネクタイをした当局さんが割り込んで来ました。
葛根廟事件については、『李香蘭』の共著者藤原作弥氏も『満洲、小国民の戦記』でかなりの頁に渡って記しています。一時は日本銀行の副頭取もなさっていました。
奉天でのソ連軍の所業もひどいもので、民家に押し入って強奪、女と見れば強姦。入城してきたときは抵抗する側との銃撃戦で、駅に近かった我が家も、流れ弾が二重窓のガラスを破って入ってくるので、屋根の上で2カ月暮らしたそうです。母も外出の際は、中学生だった兄の学生服に帽子を被って出たそうです。
50歳を過ぎてからの満洲への興味、私も遅ればせでしたが、自分の親たちが戦争でなにをしてきたかを知る、そしてなぜ自分がそこで生れ、帰国して引揚者と呼ばれるようになったのを考えるよい機会となりました。
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