釈放されて帰りしわれの頬を打つ父よあなたこそ起たねばならぬ
道浦母都子
ベトナム戦争反対の学生運動で有名な歌人である。
ほかに、
・調べより疲れ重たく戻る真夜(まよ)怒りのごとく生理始まる
・打たれたるわれより深く傷つきて父がどこかに出かけて行きぬ
そして、
・今だれしも俯くひとりひとりなれわれらがわれに変りゆく秋
・どこかさめて生きているようなやましさはわれらの世代の悲しみなりき
道浦が運動をしてから50年も経った、国内でサミットのあったころ。
大阪府警の公安警察官が家のまえにたたずんでいたという。
すでに、さめた悲しみのなかにいるというのに。
その怖さ--
しかし、道浦は言う。
「表現者は、反体制でありたい」
若いモンが「世界報道写真展2017」を見てきた。
写真で見るより、等身大の写真は”本物”を感じるという。
残念ながら、チラシしかないが。
あらためて、言論の自由、表現の自由、報道の自由を思う。
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”表現の自由”は必要ですね
話したいことも話せないのは
ストレスがたまりそうです。
昔の人には気骨がありました。明治のジャーナリスト宮武外骨、中村天風、頭山満、玄洋社など彼らには本当の反骨精神を感じます。(事の是非は別問題として)
言論の自由、表現の自由は守らなければいけないと思います。公序良俗に反しない限りにおいて・・・。
学生運動も、もう遠い時代になりましたが、
留置場に入った時の歌などは、しんとして読みました。
歌集「無援の抒情」から
「神田川流れ流れていまはもうカルチェラタンを恋うこともなき」
と、詠っているのに、半世紀経ってもまだマークされるんですね。
言論の自由は空気のようなものと思います。
勿論、最低限の良識はあって然るべきですが。
娘さんもつゆさんの影響で、良い写真展へ行かれましたね。
それから、食べる楽しみも残っています。
反骨の精神、事の是非はともかく、いつも感動してしまいます。
写真の黒人女性を見ると、感激します。
でも、自分でどこまで行動できるかとなると、情けない限りです。
まだ今は言えるから、言っておこう、
という感じです。
私などは、聞きかじりでしかないのです。
神田川の歌、どなたかギャラリーに出してませんでしたか。
半世紀も経っているのに、これ見よがしに…。
そんな時間があったら、もつと悪いやつ、いるだろ、と、つい乱暴になってしまいました。
写真展、私が勧めたわけではなく、たまたま時間があって入ったそうです。
で話を聞いた、というわけです。
今でも監視されているなんて権力はよほど暇なんですね。
現在、私は68歳、全共闘世代です。
自分の政治信条は右、左ではなく数が少なくなっていますがリベラル。
だれでも権力を持てば間違った方向に行使する恐れがあります。
それに対して何歳になっても反体制でいたい。
道浦さんは同年代の都はるみさんと親交があるそうです。
作詞・道浦母都子「邪宗門」
https://www.youtube.com/watch?v=OVXjqx9L7GI
巨大な国ほど、その影響力が大きいし、品性のない人ほど、下劣な手段を使うようです。
全共闘世代ですか、苦くて辛い終焉になりましたね。
私は60年安保。ノンポリでしたが、警察官まで国会に入れたと聞いて、カチンとスイッチが入りました。
過去を調べたり、判断したりするとき、右でも左でもなく、事実だけを心がけてきました。
反戦・反核というと、共産主義ー左のレッテルを貼りたがる人が多いのですが、私も、ただリベラルなだけだと思っています。
しかも、戦争を始める人たちが「平和のために」と言うのですから。