あやか と しょうま のパパのブログ

パパから彩加と匠真へのてがみです。いつかよんでもらえたら、たのしくおはなししよう!

第3章の11(老子)

2015-11-07 16:50:09 | 遺言
この章では、お釈迦様の教えを中心に、より良く生きる為の法則について述べてきた。
良心こそが大切だ!しかし、その良心の正体とは?

いにしえの中国に、その真理をさらに深く的確に説いた賢人がいた。老子だ。
若き日の釈迦に会い、その思想(仏教)に多大な影響を与えたともいわれる。

(以下 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E5%AD%90 引用)

老子(ろうし)は、古代中国の哲学者であり、道教創案の中心人物。
「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられている。

(以下 http://textview.jp/post/culture/4182 NHKテキストViewより引用)

「道」からあらゆるものが生まれてくると老子はいう。
また「道」とは本来、言葉にできるものではなく「名無し」の状態を指し、
なにもない天地の始まりのようなものであるそうだ。
そこから万物が生まれることで、はじめて「名有り」の状態になり、
無から有が生まれるという構図ができるという。
その後に、「道」に内在している「徳」の働きが、万物を養い育てる。

「道」は、天地よりも先に存在する「なにか」であって「無」を指す。
(「無」= ありとあらゆる可能性を含みもつ状態 )

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老子を読もう!
もう彩加には、ある程度理解できると思う。
匠真も高校生になったら読んでほしい。漢文の勉強にもなる。

これからは、十牛図の十段階よりさらに上の究極の次元に入る。

老子について述べて行く。。十一段階だ!

第3章終わり

第3章の10(十牛図)

2015-11-03 12:41:45 | 遺言
十牛図 http://booktope.blog130.fc2.com/blog-entry-15.html より引用

以下、wikipediaより引用に〈加筆〉

十牛図(じゅうぎゅうず)は、禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したもの。

以下の十枚の図からなり、ここで牛は人の心の象徴とされる。またあるいは、牛を悟り、童子を修行者と見立てる。

①尋牛(じんぎゅう) - 牛(真理)を捜そうと志すこと。
〈生きる苦しみの中〉悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。
〈何とかならないだろうか?〉

②見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。
 足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。
〈きっと、悟りの足がかりがあるはずだ!頑張る!〉

③見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。
 優れた師〈読書・体験を含む〉に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。
〈慈悲と赦しこそが悟りでは?〉

④得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。
 何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。
〈自分の良心と向き合うも、まだまだ未熟〉

⑤牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。
 悟りを自分のものにするための修行を表す。
〈真理とは自分の心の中にある良心に従うことと気づく〉

⑥騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。
 悟りがようやく得られて世間に戻る姿。
〈自らの良心と行動が一致してくる〉

⑦忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。
 悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。
〈大切なのは他人にどう思われるかではなく、自分がどう生きるかだ!〉
〈もう良心しか見えない!〉 

⑧人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。
 悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。
〈感謝!良心との合一〉

⑨返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。
 悟りとはこのような自然の中にあることを表す。
〈全てOKだった!絶対安心の境地〉

⑩入鄽垂手(にってんすいしゅ) - まちへ...
 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。
〈思い通りにならない、面倒で間尺に合わない、このろくでもない現実社会が愛おしくてたまらなくなる。有難うございます!〉

人(生命)の本質は良心・思いやり だから、最後には人(命)を愛し育むのです。
良心は退屈から離れます。それでいて静かな喜びの中にいます。
一緒にあそぼ~~

第3章の9(同類の法則と時間差の世界)

2015-11-03 12:01:41 | 遺言
類は友を呼ぶと言うが、全くその通りだ。
この世では、この法則が弱く、日常に色んな性質の人と出会うのだが、本来はありえない。

簡単に言うと、善人は善人だけ、悪人は悪人だけしかいない集落で暮す。
善人はそこを天国と言い、悪人はそこを地獄と呼ぶ。
接触することはほとんどない。基本的に出来ない。
つまり似たもの同士しか交流できないのだ。

しかし、この世は特殊な世界で、肉体という物質を通して、善悪明暗混合だ!
優しい人意地悪な人、明るい人暗い人。。。ここに、人生のヒントがある。
良心と相談の上、出来る限り良い人と付き合い、悪い人との付き合いは避けて行こう!
自分の階層を上げて幸福を得るチャンスがある。

逆もしかり。不良グループと交際すると、運気を大きく損なう。
普通に考えて、暴力や犯罪に巻き込まれる確率が高くなる。
だから、人付き合いは、慎重にしよう!

この世は、因果の法則が時間差で発動する特殊な世界だ。
本来はない時間という概念を物質が作り出している。
本当は今しかない!過去も未来も同時におきている。今!
今、他者にしたことが自分に返る。
今、思いやりを発信しよう!今!

あせらず、良い行いをして行こう!未来が変わる!忘れたころが多いけど。。。
実は過去も変わる!今しかないから。。

どちらも、この世では、あまり気付かないが、だからこそ、気を付けよう!
必ず分かる。人生を終える時には。。必ず。。

第3章の8(鏡の法則)

2015-10-12 19:11:56 | 遺言
さて、全てはつながっており、この宇宙にはたった一つの生命しか存在しない。
これまで、述べてきた通りだ。

そうであるなら、他者にすることは自分にすることだ。
最初から、他者などいないのだから。。
自分の身体の一部、例えば手を強くたたけば、とても痛い。
当然、自分がいやな思いをする。

自分は脳だから、あの気に食わない自分の左手を右手に命令して殴って懲らしめてやろう!
と思うのは、こっけいなことだろう。
だが、私(脳)は、自分と一体の愛しい腹筋にもっと強く美しく健康になって欲しいので鍛えよう!
と思うのは、理にかなっている。
その時は苦しくても、後から、脳を含む身体全体が美しく元気になり喜ぶことになる。

これと同じことが、個人と万物との間にも言える。
少しミクロな視点では、鏡(反射)の法則が作用する。
因果は、厳然と、応報する。

ただし、この世はとても良く出来ている。
生まれる以前の記憶がない。あたかも時間と空間があり、分離しているように感じる。
個々の本性をあぶりだすには最高のステージだ!
人間の選別と成長のため。。

他者にしたことは、必ず本人に返る。
全体にも影響するが、正確無比に、絶対に、本人に戻る。
愛情や感謝の思いは、良い因縁を生みだす。
だから、思いやりは結局自分を救うことになるのだ。
「情けは人のためならず」は、全く真理なのだ。
必ず自分に返ってくる。善い行いも悪い行いも。。必ず!

さて、神社の拝殿には、よく丸い鏡が置いてある。
これの意味は、とても深い。

参拝者自らの思いが反射すること。
参拝者自らが神であること。
(神は人に内在すること)

神に願うと、自分が依頼される。
利用しようとすれば、利用される。
感謝すると、感謝される。
人に対しても同じだ。

必ず反射して自分のところに帰るが、いつ、どの様に、返るかがわからない。
それが、この世のトリックであり、神の恩寵なのだ。
たいがい忘れたころに還るので、気がつかない。。。

第3章の7(陰陽の法則)

2015-10-11 20:07:01 | 遺言
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD(wikipediaより引用)

陰陽(いんよう)とは、中国の思想に端を発し、森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物をさまざまな観点から陰(いん)と陽(よう)の二つのカテゴリに分類する思想。陰と陽とは互いに対立する属性を持った二つの気であり、万物の生成消滅と言った変化はこの二気によって起こるとされる。

これらは相反しつつも、一方がなければもう一方も存在し得ない。森羅万象、宇宙のありとあらゆる物は、相反する陰と陽の二気によって消長盛衰し、陰と陽の二気が調和して初めて自然の秩序が保たれる。

全体では、
陰があれば陽があり、陽があれば陰があるように、互いが存在することで己が成り立つ。
闇があれば光があり、善があれば悪がある。生死、男女、左右、上下、前後、全てに反対がある。

そして、
陰陽が互いにバランスをとるよう作用する。
陰虚すれば陽虚し、陽虚すれば陰虚する。陰実すれば陽実し、陽実すれば陰実する。
苦しみがなくなれば、楽しみもなくなる。

リズム変化し、
陰虚すれば陽実し、陽虚すれば陰実する。陰実すれば陽虚し、陽実すれば陰虚する。
泣いたり、笑ったり、悲しんだり、喜んだり。。変わり続ける。

または、
陰極まれば陽極まり、陽極まれば陰極まる。
苦あれば楽あり、努力すれば成功する。

そして、
陰陽それぞれの中に様々な段階の陰陽がある。陰中の陽、陰中の陰、陽中の陰、陽中の陽。
万物はこの陰陽の組み合わせの妙により成立し運営されている。

たった一つしかない生命が、混沌からこの世界を構成したツールが陰陽だ!
あなたと私、自分と自分以外との分離。過去、現在、未来へと流れる時間。こことあそこまでの距離。
全ての事象、万物は、陰と陽でできている。すべて、この陰陽の成せる業なのだ。