さて、全てはつながっており、この宇宙にはたった一つの生命しか存在しない。
これまで、述べてきた通りだ。
そうであるなら、他者にすることは自分にすることだ。
最初から、他者などいないのだから。。
自分の身体の一部、例えば手を強くたたけば、とても痛い。
当然、自分がいやな思いをする。
自分は脳だから、あの気に食わない自分の左手を右手に命令して殴って懲らしめてやろう!
と思うのは、こっけいなことだろう。
だが、私(脳)は、自分と一体の愛しい腹筋にもっと強く美しく健康になって欲しいので鍛えよう!
と思うのは、理にかなっている。
その時は苦しくても、後から、脳を含む身体全体が美しく元気になり喜ぶことになる。
これと同じことが、個人と万物との間にも言える。
少しミクロな視点では、鏡(反射)の法則が作用する。
因果は、厳然と、応報する。
ただし、この世はとても良く出来ている。
生まれる以前の記憶がない。あたかも時間と空間があり、分離しているように感じる。
個々の本性をあぶりだすには最高のステージだ!
人間の選別と成長のため。。
他者にしたことは、必ず本人に返る。
全体にも影響するが、正確無比に、絶対に、本人に戻る。
愛情や感謝の思いは、良い因縁を生みだす。
だから、思いやりは結局自分を救うことになるのだ。
「情けは人のためならず」は、全く真理なのだ。
必ず自分に返ってくる。善い行いも悪い行いも。。必ず!
さて、神社の拝殿には、よく丸い鏡が置いてある。
これの意味は、とても深い。
参拝者自らの思いが反射すること。
参拝者自らが神であること。
(神は人に内在すること)
神に願うと、自分が依頼される。
利用しようとすれば、利用される。
感謝すると、感謝される。
人に対しても同じだ。
必ず反射して自分のところに帰るが、いつ、どの様に、返るかがわからない。
それが、この世のトリックであり、神の恩寵なのだ。
たいがい忘れたころに還るので、気がつかない。。。
これまで、述べてきた通りだ。
そうであるなら、他者にすることは自分にすることだ。
最初から、他者などいないのだから。。
自分の身体の一部、例えば手を強くたたけば、とても痛い。
当然、自分がいやな思いをする。
自分は脳だから、あの気に食わない自分の左手を右手に命令して殴って懲らしめてやろう!
と思うのは、こっけいなことだろう。
だが、私(脳)は、自分と一体の愛しい腹筋にもっと強く美しく健康になって欲しいので鍛えよう!
と思うのは、理にかなっている。
その時は苦しくても、後から、脳を含む身体全体が美しく元気になり喜ぶことになる。
これと同じことが、個人と万物との間にも言える。
少しミクロな視点では、鏡(反射)の法則が作用する。
因果は、厳然と、応報する。
ただし、この世はとても良く出来ている。
生まれる以前の記憶がない。あたかも時間と空間があり、分離しているように感じる。
個々の本性をあぶりだすには最高のステージだ!
人間の選別と成長のため。。
他者にしたことは、必ず本人に返る。
全体にも影響するが、正確無比に、絶対に、本人に戻る。
愛情や感謝の思いは、良い因縁を生みだす。
だから、思いやりは結局自分を救うことになるのだ。
「情けは人のためならず」は、全く真理なのだ。
必ず自分に返ってくる。善い行いも悪い行いも。。必ず!
さて、神社の拝殿には、よく丸い鏡が置いてある。
これの意味は、とても深い。
参拝者自らの思いが反射すること。
参拝者自らが神であること。
(神は人に内在すること)
神に願うと、自分が依頼される。
利用しようとすれば、利用される。
感謝すると、感謝される。
人に対しても同じだ。
必ず反射して自分のところに帰るが、いつ、どの様に、返るかがわからない。
それが、この世のトリックであり、神の恩寵なのだ。
たいがい忘れたころに還るので、気がつかない。。。