あやか と しょうま のパパのブログ

パパから彩加と匠真へのてがみです。いつかよんでもらえたら、たのしくおはなししよう!

第4章の20(貴)

2015-11-29 21:18:50 | 老子
以下 http://mage8.com/magetan/roushi02.html より引用

原文
絶學無憂。唯之與阿、相去幾何。善之與惡、相去何若。
人之所畏、不可不畏。荒兮其未央哉。
衆人煕煕、如享太牢、如春登臺。
我獨怕兮其未兆、如孾兒之未孩。儽儽兮若無所歸。
衆人皆有餘、而我獨若遺。
我愚人之心也哉、沌沌兮。
俗人昭昭、我獨昏昏。俗人察察、我獨悶悶。
澹兮其若海、飂兮若無止。衆人皆有以、而我獨頑似鄙。
我獨異於人、而貴食母。

書き下し文
学を絶てば憂いなし。
唯(い)と阿(あ)と相い去ること幾何(いくばく)ぞ。
善と悪と相去ること何若(いかん)ぞ。
人の畏(おそ)るる所は、畏れざるべからざるも、
荒(こう)としてそれ未だ央(つ)きざるかな。
衆人は煕煕(きき)として、太牢(たいろう)を享(う)くるが如(ごと)く、
春に台(うてな)に登るが如し。
我れは独り怕(はく)としてそれ未だ兆(きざ)さず、
嬰児(えいじ)の未だ孩(わら)わざるが如し。
儽儽(るいるい)として帰(き)する所なきが如し。
衆人はみな余り有るに、而(しか)るに我れは独り遺(うしな)えるが如し。
我れは愚人の心なるかな、沌沌(とんとん)たり。
俗人は昭昭(しょうしょう)たり、我れは独り昏昏(こんこん)たり。
俗人は察察(さつさつ)たり、我れは独り悶悶(もんもん)たり。
澹(たん)としてそれ海の如く、飂(りゅう)として止(とど)まるなきが如し。
衆人はみな以(もち)うる有り、
而るに我れは独り頑(かたくな)にして鄙(ひ)なり。
我れは独り人に異なり、而して母に食(やしな)わるるを貴(たっと)ぶ。

現代語訳
学ぶことを止めたなら、迷うこともないだろう。
「はい」と答えるのと「うん」と答えるのにどれほどの違いがあるだろうか?
人の言う善と悪にはどれほどの違いがあるのだろうか? 
人の嫌がる様な事はしてはならないが、
どこまでも厳しく律していたら際限が無いではないか。
世の人々はみんな笑顔でご馳走を食べている様に見える。
まるで春の日に高台から世界を見ているかの様だ。
しかし私といえば一人きりで動くそぶりも見せず、
笑う事を知らない赤ん坊の様だ。
ぐったりと疲れて果てて身の置き所も無いかの様だ。
世の人々はみな有り余る何かを持ち合わせているのに、
私と言えば何もかも失ってしまったかの様だ。
私はそういう愚か者の心を持っていて、
ぼんやりと何が確かなのか解らずにいるのだ。
世の人々はきらきらと眩いばかりだが、私だけは一人暗がりに居る様だ。
世の人々は賢く聡明であるのに、私だけは一人悶々としている。
ゆらゆらと大海原に漂い、風の様にどこへ行くかも解らない。
世の人々はそれぞれ世の為に役立っているのに、
私だけが一人じっとして何の役にも立たずにいる。私だけが人とは違っていて、
大いなる「母」に養われる事を大切に守っているのだ。

*********************************

人が恐れることは私にも恐ろしいが、なんでも怖がっていては際限がない。

世間の人は裕福だが、私だけ貧しいようだ。
私だけが愚か者のように、ぼんやりしている。

しかし、私こそは面倒を見て頂いている母(道=神=大自然)に
心から感謝している存在なのだ!


失敗してもいい!なさけなくてもいいではないか!
人生にはそんなこともある。
それでも、いつでも、私達は大いなる母に生んで頂いて養われているのだ。
これがどんなに有難いことか考えてごらん。

生かされていることに感謝することこそが、
生死を超えた真理であり原点なのだよ。

第4章の19(素)

2015-11-28 21:02:27 | 老子
絶聖棄智、民利百倍。絶仁棄義、民復孝慈。
絶巧棄利、盗賊無有。此三者、以爲文不足。
故令有所屬。見素抱樸、少私寡欲。

[書き下し文]
19.聖を絶ち智を棄てよ、民の利は百倍せん。
   仁を絶ち義を棄てよ、
   民は孝慈(こうじ)に復らん(かえらん)
   巧を絶ち利を棄てよ、盗賊有ること無からん。
   此の三つの者は、以て文とするに足らずと為さん、
   故に属する所有らしめよ。
   素を見せ樸(はく)を抱かしむれば、
   私を少なくし欲を寡なく(すくなく)せん。

(11/29追記)
以下 http://mage8.com/magetan/roushi02.html より引用

美徳を断ち切って知恵を捨てれば、
人々の利益は百倍にもなるだろう。
仁愛を断ち切って正義の心を捨てれば、
人々は本来の真心に立ち返るだろう。
小手先の技術を断ち切って便利な道具を捨てれば、
盗賊など居なくなるだろう。
この様な事を言葉で理解するのは難しいだろうから、
手本とすべき例を挙げよう。
生まれ持った心を素直に表して
切り出したばかりの丸太の様な純朴さを内に秘めよ、
利己心を少なくして欲望を少なくせよ。

************************

素朴さこそが人の道。我欲は文明が作り出した不自然だ。
自然が一番!

第4章の18(対)

2015-11-28 19:39:43 | 老子
大道廢、有仁義。智惠出、有大僞。
六親不和、有孝慈。國家昬亂、有忠臣。

以下 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/index.html より引用

[書き下し文]
18.大道廃れて仁義有り。慧智(けいち)出でて大偽有り。
   六親(りくしん)和せずして孝子(こうし)有り、
   国家昏乱(こんらん)して忠臣有り。

(11/29追記) http://mage8.com/magetan/roushi02.html より引用

人間本来の自然な生き方である「道」が失われてしまったからこそ、
人々が仁義などと言い出すのだ。
小賢しい知恵を振りかざす者がいるからこそ、
人々は偽り合う様になったのだ。
家族が仲良く暮らしていないからこそ、
孝行とか慈愛とかが重んじられるのだ。
国がひどく乱れて安定しないからこそ、
忠義の臣などがもてはやされるのだ。

*****************************

物事には反対が存在する。
陰と陽、女と男、上と下、N極とS極...全てに逆が存在する。
声高に叫ばれることから、その反対がわかる。
理想から現実がわかる。嘘から真実がわかる。
不足から欲しいものがわかる。
反対を意識しよう!そこから何かがわかるから。




第4章の17(信)

2015-11-28 15:51:24 | 老子
太上、下知有之。其次、親之譽之。其次、畏之。其次、侮之。
信不足焉。悠兮其貴言。功成事遂、百姓皆謂我自然。

以下 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/index.html より引用

[書き下し文]
17.大上(たいじょう)は下(しも)之が有るを知るのみ。
   其の次は親しんで而うして(しこうして)之を誉む。
   其の次は之を畏る。其の次は之を侮る。
   信なること足らざれば、信ぜられざること有り。
   悠兮(ゆうけい)として其れ言を貴くすれば、
   功は成り事は遂げて、百姓皆我を自然なりと謂わん。

**********************************

(11/29追記)
以下は http://mage8.com/magetan/roushi02.htmlをベースにアレンジした。

最も理想的な君主とは、民衆はただその存在を知るだけで、
何をしているのか解らないくらいの存在だ。
次に良い君主は民衆に誉められる存在で、
その次は法と罰を厳しくして民衆から恐れらる様な君主で、
その次は民衆から愚か者と侮られる君主である。
君主が誠実さを欠いて民衆を信じなければ、民衆からの信頼を失うものだ。
理想的な君主は悠然として言葉少なに人民を励ますだけで、
人々は力を併せて事業を成功させることができる。
そうすれば、民衆は「我々の力はたいしたものだ」と満足し、
また、君主を煙たがらず尊重するものである。

日本の天皇陛下も一般人は何をしているか分からない。
しかし、主に宮中で祭事を行い国家安泰を願っている。
そして、表向きは外交や国民を励ます公務も行うことで知られている。

老子の言う理想の君主ではないだろうか?

第4章の16(公)

2015-11-27 18:44:11 | 老子
致虚極、守靜篤。萬物並作、吾以觀其復。
夫物芸芸、各復歸其根。歸根曰靜。是謂復命。
復命曰常。知常曰明。不知常、妄作凶。
知常容。容乃公。公乃王。
王乃天。天乃道。道乃久。沒身不殆。

以下 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/index.html より引用

[書き下し文]
16.虚を致すこと極まり、静を守ること篤くす。
   万物並び作る(おこる)も、
   吾は以て復る(かえる)を観る。
   夫の(かの)物の芸芸(うんうん)たる、
   各々其の根(こん)に復帰す。
   根に帰るを静と曰う、是を命に復すと謂う。
   命に復するを常と曰う。
   常を知るを明と曰う。常を知らざれば、
   妄作して凶なり。常を知れば容なり。
   容なるは乃ち(すなわち)公なり、公なるは乃ち王なり、
   王なるは乃ち天なり、天なるは乃ち道なり。
   道なるは乃ち久しく、身を没するまで殆うからず(あやうからず)。

*******************************

(11/29追記)
心を空にして静めていると、万物が次々と生まれ、
そして、死んでゆくのが分かる。全ては生まれ、死んでゆく。
生命の死は終わりではない動(この世)に対する静(あの世)だ。
ただ生まれたところに帰るだけだ。全く当たり前の法則なのだ。
だから、この法則を明白な事実と言う。
この現実を知らないと思い違いから人生を謝り不幸になってしまう。
この法則を知っていれば、天の器となり、世に良いことを行う公人となる。
公人は天の使であり代理人の王であり、天と一体である。
天とは道(良心)のことだ。道は永遠であるから、
良心と一体となった人はこの世でもあの世に帰っても決して滅びない。