☆お礼の言葉☆
「恕」おもいやり
この言葉は父の好きな言葉でした。
”真面目”を絵に描いたような父でした。
その厳格な姿は、我が家の大黒柱として大きな存在でした。
幼少の頃から苦労が絶えず、大好きな勉学が思う存分できなかった・・・
そんな思いからでしょうか。
私達5人の子供達には不自由なく勉学に励んで欲しいと
それぞれ希望する学校へ進ませてくれました。
大きな父の愛情に包まれて、私達は幸せでした。
不器用な人でしたから、素直な愛情表現が下手でしたが
誰よりも母の事を愛していました。
最期のその時までの間、病との闘いは想像を絶するほどの辛さであったと思いますが
病室で母から介護を受けながら過ごせた時間は、
父にとっても幸福なひとときであったに違いありません。
父亡き今、姿や形はなくとも、父の教えや与えられた沢山の「恕」を感じながら
またそれらをこれから生きていく為の糧として
大切にしていきたいと思っております。
***
6月19日。
今日は
父の四十九日。
今日1日、
忙しく走り回っていたけど
ずっと父の事ばかり考えてた1日だったよーな気がする。
そして。
この
「お礼の言葉」は
会葬礼につけたものなんだけども
どうしても
父の生きた証のようなものを
形にして
最後に
お別れに来てくださった皆さんに
お伝えしたくて
私なりに
一生懸命に考えて
ない脳みそを絞り出して作った文章。
こんなん作文書く作業なんて
いつぶりやろ。
ですけど
印刷前に
校閲担当のおねいさんから電話あって
「表現がそぐわない部分はこちらで手を加えさせていただきます~。」
で
みなさまのお手元に届きました
あのような文章とあいなりました。
「瞼の裏にうかんでまいります。」
・・・とか
そんなん余裕のあるよな気分にはまだなれんわっ!!
・・・とか思ったりもしたけど
ま、
ショガナイ。
ということで
テイヨク整えられた「お礼の言葉」となりまして。
・・・
これ書いたのは
実は
一番心も体もダメージバリバリの時やったから
ゆーてみれば
いちばんしんどかった時。
あの時のなんともいえないあの感情。
つかみどころのない
自分の気持ちをもてあますようなあの感情。
まさに
・
・
・
瞼の裏に浮かんでまいりますわ・・・。←おいっ。
お父さん、
よかタビを!!
***
昨日からの地震で
ココロが不安になってる方が多くいらっしゃることと思います。
ニュースを見聞きするたび犠牲となった方々の事を思うと胸が締め付けられます。
miちゃんさんと連絡が取れたときは
肩の力が抜けて
足の裏がぞわぞわするような感覚に見舞われました。
(なんともわかりにくい表現ですんません。ホッとしてという意味。)
まだまだ余震におびえる日々かとは思いますが
1日も早くみなさんが元通りの生活に戻れますように・・・。
***
1日を無事に生きるって事自体が、
奇跡。