☆メキシコ戦!!☆
深夜に始まるからとゆーことで
「いまから仮眠!」
そして
試合開始とともに
ごそごそと起き出し
「いざ!!」
観戦しよるみなたんの様子見てるだけでも
ワクワクソワソワするそーですyo。
なんとゆーても
前世メキシコ人だそーなんでネ。←カズさん談。
てか。
アタシにいわせりゃ
なんちゅーはちゃめちゃなオドロキ発言。
・・・
ちなみに
カズさん着用の
このユニフォームの選手は・・・
このシト!
チチャリート!
美少年だったのに。←「のに」ってアンタ。
すっかり壮年
・・・もとい
青年へ成長されておりました。
でも。
シュートの後の
この笑顔!!
かわってないわ!
やっぱ美少年だわ!!←みーはー。
で。
肝心の試合結果ですけども。
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そら
こーふんして
撮った写真も
ぶれぶれぶれぶれらったったー。
メキシコおめでとう!
あぁ・・・
<おまけ>
てなぐあいで
ここまで読んでくださったみなたんは
カズさんとアタシと2人して
仲良く観戦したとでも
そうお思いか?
・・・。
読みが甘いな。
・
・
・
アホタロ、
睡魔には勝てまてん。
よって
このシト、
深夜に一人寂しく自撮りしながら
試合観戦したそーです。
すばらしきメキシコ愛。
ゴクロウサマデシタ。
☆それはまるでイタチゴッコのような☆
「帯状疱疹完治にかかる期間は約2週間」。
その診断のもと
2週間も病院におれば家に帰ることができると
信じて疑わなかった
入院から1週間後。
マサカのデキゴト。
父下血。
からの
輸血。
「輸血はすーごとなかなぁ・・・。」
という父に
「輸血せんと今のおとーさんには血が足りんのよっ!」
「ありがたくいただいて輸血してもらおう。」
そう説得しつつ
結局・・・
おそらく50日間ほどの入院中、
3回くらい輸血をくりかえしたよーな・・・。
そして下血からの貧血による
朦朧とした感じも
日々ひどくなる1週間。
思えば、この1週間は父にとってもとってもキツイ週だったかと。
まぁ、
どの週もいろんな意味できつかったんだろうけど。
そして
このころくらいから
今思うと
遺言のよーなコトを言い出した父。
突然、
「お母さんは優しかなぁ・・・。」
って
本人を目の前に
そんな歯の浮くようなセリフ
シンケンシラハギリモードで言うなんて
おっとろし。
「いやーん、照れるぅ、アタシのおらんところで2人きりん時ゆーてやらんね。」
と
照れ隠しみたく←オマエが照れるな。
ジョーダン交えて
答えたアホタロ。←やけん、お前に言うたんやなかぞ。・・・By.チチ。
ほんとは
「そうね、私もお父さんのコト大好きよー。」
って
母にゆーてもらいたかったのかもしれんなー。
「おえー、そんなセリフ、はずかしゅーしてよう言いきれんよ。」
って
父がおってもおらんでも
きっと
母はそう言うのだろうけど。
・・・
翌日には
「お前はチャント独り立ちできるのか?」
と
病室に来た寅へコトバをかけていた父。
自分の体がどんなにきつくて
気持ちがついていけずにめちゃくちゃ辛くても
どんな時も家族への思いが溢れていた父。
・・・
「今は人のコトより自分の心配しときんしゃいyo。」
と
これまた
アタシが横から割って入り←いつも苦し紛れでヤラカス悪い癖。
寅との会話もなんだかうやむやになってしまったのは
今となっては
アタシの中に残る
ちょこっと胸がキュッとなるくらいの
小さな後悔ではあるんだけど。
・・・
そして
3月20日。
「お父さんは死んでしまうとやろうか。何も悪いコトはしてないとに。」
そして
3月22日。
「じいちゃんが夢に出てくる。よばれよっとやろうか。」
・・・
この言葉には
いささか
アタシの特異で得意な←・・・。
オモシロジョーダン返しを
ナイスタイミングでやらかすコトもできず
思わず息を飲んで
一瞬フリーズ。
こう言われたらこう答えよう。的な
傾向と対策。
もすこし自分の中で練っておくべきやったな。
<おまけ>
四十九日の法要が済んで
夕刻のころ。
なにはなしてんだか。←綾姉の悪口サ。・・・By.おとこども。