このブログは東日本大震災がきっかけで始まりました。
あの日、岐阜の高校で寮生活をしていた長女を迎えに名神を東に向かって走っていたときに地震は起きました。
翌朝、娘を乗せて名神を戻ってくるとき、被災地に向かうおびただしい数の消防車や救急車、自衛隊の車両などとすれ違いました。
大阪各市をはじめ近畿・中国地方や遠くは九州からいち早く駆けつける救援車両でした。
あの頃の日本人はみな、被災地のために立ち上がろうと 「自分も何かできないか」 考えていたと思います。
わたしも会社や地域で、わずかな寄付を集めては被災地に送っていました。
海外から届けられる有形無形の支援にも感動しました。
とりわけ台湾からの支援が篤かったことと、支援に対する日本政府の対応が礼を尽くしたものでなかったことを知り、台湾のみなさんに感謝の気持ちを伝えたくて、台湾にアユ釣りに行きました。 発災から2か月、5月のことでした。
台湾の釣り人は皆とても親切で、行く先々で被災地を気遣う温かい言葉をかけてくださいました。
台湾の多くの釣り人はブログで仲間と交流していて、そのとき 「あなたのブログを教えてください」 と言われたのが 「根がかりおやじの鮎友日記」 を始めるきっかけでした。
このブログの記事が台湾釣行から始まっているのはそんな理由です。
そして9月、はじめて被災地に足を踏み入れました。
そのときの様子を記事にしていますが、あまりの惨状に言葉を失いました。 一枚の写真を撮ることもできませんでした。
記事の結びには、気仙川への釣行の可能性に触れていて、それは翌々年の7月に実現します。
なんの役にも立っていないのでしょうが、それから毎年、東北に釣りに行くことになります。
兄も毎回付き合ってくれます。
釣りとブログを通じて多くの皆さんと出会いました。
みんな大切な友人・たからものです。
ことしの夏も東北で竿を伸ばします。
また楽しい出会いがあるでしょうか。
あなたは 「 ポチッ 」 と したく なぁ~ る~
あの日、岐阜の高校で寮生活をしていた長女を迎えに名神を東に向かって走っていたときに地震は起きました。
翌朝、娘を乗せて名神を戻ってくるとき、被災地に向かうおびただしい数の消防車や救急車、自衛隊の車両などとすれ違いました。
大阪各市をはじめ近畿・中国地方や遠くは九州からいち早く駆けつける救援車両でした。
あの頃の日本人はみな、被災地のために立ち上がろうと 「自分も何かできないか」 考えていたと思います。
わたしも会社や地域で、わずかな寄付を集めては被災地に送っていました。
海外から届けられる有形無形の支援にも感動しました。
とりわけ台湾からの支援が篤かったことと、支援に対する日本政府の対応が礼を尽くしたものでなかったことを知り、台湾のみなさんに感謝の気持ちを伝えたくて、台湾にアユ釣りに行きました。 発災から2か月、5月のことでした。
台湾の釣り人は皆とても親切で、行く先々で被災地を気遣う温かい言葉をかけてくださいました。
台湾の多くの釣り人はブログで仲間と交流していて、そのとき 「あなたのブログを教えてください」 と言われたのが 「根がかりおやじの鮎友日記」 を始めるきっかけでした。
このブログの記事が台湾釣行から始まっているのはそんな理由です。
そして9月、はじめて被災地に足を踏み入れました。
そのときの様子を記事にしていますが、あまりの惨状に言葉を失いました。 一枚の写真を撮ることもできませんでした。
記事の結びには、気仙川への釣行の可能性に触れていて、それは翌々年の7月に実現します。
なんの役にも立っていないのでしょうが、それから毎年、東北に釣りに行くことになります。
兄も毎回付き合ってくれます。
釣りとブログを通じて多くの皆さんと出会いました。
みんな大切な友人・たからものです。
ことしの夏も東北で竿を伸ばします。
また楽しい出会いがあるでしょうか。
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コメントもいただければ幸いに存じます。
あなたは 「 ポチッ 」 と したく なぁ~ る~
なんかほかのん考えたら?
「竿師のコック」とか… これはグロいか…
次の海外旅行は
台湾かなとも。
鮎釣りは行けるかどうか(笑)
ところで、そろそろ五年目さんちゃうのん?
台湾の方の優しさに心うたれます。
台湾の人
多謝、多謝。