「 嘉峪関 」から西安に向かう機内から撮った「 天山山脈 」…
古くは信仰の対象ともなった、うつくしくも荒涼とした急峻の連なりです。
多くの侵略者と旅人を苦しめてきた天然の長城でもありました。
この天山山脈の北と南に、人と物そして文化の往きかうシルクロードができ、点在するオアシスが町になって、そこで東西の文化が融合し、集積されていったのです。
この、ひとを寄せつけない山脈こそが「 洋の東西 」をしっかりと結びつけ、いまの世界を作り上げたのだとわたくしは思っています。
初日泊ったホテルにたどり着いたのは日付が変わったころでした。
さすがに疲れていたのでしょう、服を着たままベッドの上で目が覚めました。
朝食は2種類のチャーハンと「 おかゆ 」用の漬物、そしてベーコンでした ^^v
昨日食べた四川料理で、胃と腸と腸の出口がかなりヤバいことになっていたのですが、しっかり食べてしまいました。 根っこがいやしいんです ^^;v
コーヒーもいただいて、ゆっくりチェックアウト。
この日の「 目玉 」は大慈恩寺「 大雁塔 」でした。
玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典を納めるために建てられた図書館のようなもので、玄奘もこの塔の設計にかかわったとされています。
薬師寺の「 大唐西域壁画 」では、朝日にかがやく大雁塔が、7枚ある壁画の一番最初に画かれています。
現物はちょっと傾いておりました ^^;
塔は7層からなり、一番上まで細くて急な階段を「 ふーふー 」いいながら登りました ^^;
最上階から眺めた古都長安の眺めです ^^
きっと当時は首都長安のメルクマール的存在だったのでしょうね。 まるでこの塔を中心に街が形成されているようにさえ感じられます ^^
「 大雁塔 」… とてもいい想い出になりました ^^
西安市内から約1時間、西安空港に隣接しているホテルで昼食をとりました。
この一週間、ほんとによく食べ、よく呑みました。 かなり胃が大きくなったと思います ^^;v
あとは飛行機に乗って関空までチンタオ乗り継ぎで約6時間…
…のはずだったのですが、滑走路に出た飛行機がなかなか飛ぼうとしません。
1時間ほど椅子に座って待っていたら、おやつが出てきて…
たまらず、スッチャンに得意の英語で尋ねたら…
「 詳細は教えられないが、経由地のチンタオで空軍の軍事演習が突然はじまった 」「 いつ終わるかわからない 」「 おまえら日本人はだまって座ってろ 」というようなはなしでした。
自己中心主義の塊のようなの中国人どもが、文句のひとつも言わず、おとなしく着席していたのは驚きでした。
チンタオの解放軍は東シナ海と南シナ海を管轄しています。 やな感じです。
けっきょく2時間足止めを喰らいましたが、長時間待たされたのは仕方ないとしても、となりの中国野郎が大声でずーっと携帯で話してたのには参りました。 「 しずかにしろ! このアホが! 」 中国語が喋れたら言うたるトコですが… ^^;
けっきょくチンタオに着いたのは夜でした。
チンタオで出国審査を済ませて、同じ機材で関空に向かいました。
晩メシが出てきましたが、ビールだけにしときました。
関空に着いたのは11時をとっくに過ぎておりました ^^;
荷物を受け取って、同行のみなさんへのねぎらいとお別れの挨拶もソコソコに、関空快速に飛び乗りました ^^
家にたどり着いたのは1時前… ^^;
「 たーだいマーちゃん ^^ 」 お気に入りのおもちゃくわえて出迎えてくれました ^^
長い旅行記になってしまいました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました ^^
「 たのしいなまかと絲綢之路 」、 これにて一巻の読み切りにございます ^^
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コメントもいただければ幸いに存じます。
あなたは 「 ポチッ 」 と したく なぁ~ る~
明日忘れていると思います^^
耳栓ではダメでしたか?
私、遠出する時は
必ずウオークマン持って行きます。
今一番あかんのがOBAHANの会話^^
ゼロより軽いし、アフター完ぺき ^^v
おばはんはまかせといて ^^v
どんなおばはんでも黙らせる自信ある ^^v
リモワ調べました、、、
海外行くことがほとんどないので
安もんでえーかなと^ ^
あのペタペタいつからですか?
壊れても直してもらえるし、永く使えて、けっきょく安上がりなんちゃうかな ^^
それにね… へこんでもそれが味になる。 飽きひんね ^^
大げさにいうたら、人間みたいやと思うな ^^
ぺたぺた歴?
15年ぐらいちゃうかな…