Hi Everyone!
この年齢にして初めて乗った霊柩車・・・
霊柩車って外車なんだ・・・
「父さん、人生初の外車じゃない?高級車で良かったね!」
そう私たちは声掛けしました。
私は、仕事や元知人の車でジャガーとリンカーンに
乗ったことはありましたが、三度目に乗った外車が
まさかの立派な霊柩車・・・
運転手の方も遺族たちを気遣って、何気ない会話をしてくれるんですね。
「故人のために、走ってほしい思い出の道はないですか?」とか
聞いてくれて、とてもありがたい対応でした。
父の遺影も私が持つことが出来、ほんまに良かった。
火葬場・・・何十年ぶりだろう・・・
この匂い・・・嫌だ・・・そんな思いでいっぱいでした。
でも・・・嫌な時間は迫ってくるばかり・・・
母は、いっぱいいっぱいだったみたいで
普通は、躊躇する点火のボタンをスタッフの説明後、
躊躇することなくすんなり押しました・・・
そして、あの点火される音・・・
耐えがたいものが私にはありました・・・
小声で私は泣きながら、
「父さん・・・バイバイ・・・」て言いました・・・
お骨を見た時の実感・・・
人って恐ろしいものですね。
不思議と目の前にあるものを受け入れてるんです。
もう・・・父さんは、この世にいないんだ・・・
寂しさはあったものの、きちんと受け入れてました。
父は、やっと苦しみから解放されて
うちの苦しみが終わったという安堵感もありました。
今は、たくさんの親族に囲まれてるから平気だけど、
落ち着いてきて自宅に帰る時は
きっと私は、もぬけの殻なんだろうなとわかっていました。
そこからは、私の口数は普段以上に減りました・・・
母もそこには気づいており、
一生懸命、私に声掛けをするものの
私の返事は、「うん・・・」ばかり・・・
心配してたことでしょう。
「うん・・・」ということは、
私にとって最大限の精いっぱいの言葉でした。
私が話をしなくなった時は、
限界を超えてるサインなんです。
心にぽっかり穴が空いたような・・・
何にも考えれないんです。
でも、傍からみると、
何かを考えてるように見える・・・
だから、心配になるのでしょうね。
そんな時は、一人になるのが一番なんですが、
一人になれないのがうちの実家なんです。
父はいつもこんな気持ちだったんだろうな・・・
そう思うと、父の日々の忍耐はほんまに尊敬しかないんです。
私には、出来ない事だから・・・
なぜかいつも自宅に帰る時、
福岡に入ると涙が出るんです。
それには意味がありました・・・
父の思い入れがあったんです・・・
今回、たくさんの人と久しぶりに会って
色んな話を初めて聞きました。
その話の中の一話なんですが、
私が生まれた日、父は仕事に戻らないといけない日だったそうです。
母が産気づいてる中、
複雑な気持ちで、父は駅へ向かったそうです。
私が生まれてすぐ、叔母(母の一番上の兄の奥さん)が
別の叔母(母の二番目の兄の奥さん)に
「女の子が生まれたから、今、〇〇さん(父の名)が駅に向かったから
今行けば間に合う。女の子だよって伝えてきて。」と言われ、
走って行ったそうなんです。
その時の父の顔は、仕事に戻りたくなさそうな表情をしていたそうです。
でも、当時は、仕事第一・・・とてもツラかったと聞きました。
そんな仕事へ戻る電車の中から景色を見ていたら、
綺麗な稲穂が目についたそうなんです。
私の名前の由来は、そこからきており、
父がつけてくれた名前です。
そんな話・・・なんで生きてる時に話してくれなかったのよ・・・
父の口からそんな話を聞いてたら、もっと嬉しかったのに・・・
きっと、そんなこともあり、父はずっと後悔していたのでしょう・・・
だから、自分が死ぬ時、私には会えないと不安だったのだと思います。
その後悔を晴らすかのように、
私が父の最後に間に合って立ち会えた事は、
ほんまに良かったです。
そんな父の過去があるからこそ
出来る限り家族との時間を何が何でも
大切にしてきたのかもしれません。
そんな事も知らずに、
私は・・・家族よりも自分の時間や自由を大切にしていました。
失って初めて気づく・・・遅すぎる・・・
でも、その後悔は必ず晴らせます。
父と叔父(父の弟)は、ほんまに見た目がそっくりなんです。
叔父は、結婚もしたことはなく独り身です。
自分が悪くなったら、誰も見てもらえないと
とても不安になってる胸の内を最近、話してくれました。
だから、何かあったら叔父の面倒は私が看る。
そう心に決めてます。
父の面倒を看れなかった分、
私が叔父の面倒を看る。
それで許してほしい・・・
きっと、父の事だから、許さないなんて思ってもないはずです。
ただ、父から聞こえた心のメッセージは、
「〇〇(私の名)、弟を頼む・・・」そう聞こえました。
叔父も「あんちゃんが話すことが出来たら
頼れたのに、もう頼れないから
頼る人が俺にはいない・・・」と切なく言ってたんです。
だから、「同じ独り身同士、
二人で支え合っていこうね」と叔父と約束をしました。
正直、叔父の事も私は心配です。
約1年前には、叔父の母の死。
そして、約1年後には兄(私の父)の死。
叔父は、見せないけど、
ショックは、私が思っているより大きいと思っています。
私の父の死も自分が思っているよりダメージは大きいのです・・・
日に日に寂しさも増しますし、後悔も出てきます。
でも・・・私は、これから父の写真に向かって
毎日、毎日、小さな感謝を伝えていこうと決めました!
いつまでもメソメソしてる私を父は見たくないはずです。
少しずつ少しずつ、父の死も受け入れて涙を流さなくてすむように
感謝と尊敬を父に伝えていく!
父さん、たくさんありがとう!
今、私が生きれてるのは、父さんが一生懸命頑張って
我慢してくれたおかげです!
最後まで心配ばかりかけてごめんね・・・
素直に話せなくてごめんね・・・
それでも、黙って見守ってくれてありがとう!
Thank you for reading today too.
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この年齢にして初めて乗った霊柩車・・・
霊柩車って外車なんだ・・・
「父さん、人生初の外車じゃない?高級車で良かったね!」
そう私たちは声掛けしました。
私は、仕事や元知人の車でジャガーとリンカーンに
乗ったことはありましたが、三度目に乗った外車が
まさかの立派な霊柩車・・・
運転手の方も遺族たちを気遣って、何気ない会話をしてくれるんですね。
「故人のために、走ってほしい思い出の道はないですか?」とか
聞いてくれて、とてもありがたい対応でした。
父の遺影も私が持つことが出来、ほんまに良かった。
火葬場・・・何十年ぶりだろう・・・
この匂い・・・嫌だ・・・そんな思いでいっぱいでした。
でも・・・嫌な時間は迫ってくるばかり・・・
母は、いっぱいいっぱいだったみたいで
普通は、躊躇する点火のボタンをスタッフの説明後、
躊躇することなくすんなり押しました・・・
そして、あの点火される音・・・
耐えがたいものが私にはありました・・・
小声で私は泣きながら、
「父さん・・・バイバイ・・・」て言いました・・・
お骨を見た時の実感・・・
人って恐ろしいものですね。
不思議と目の前にあるものを受け入れてるんです。
もう・・・父さんは、この世にいないんだ・・・
寂しさはあったものの、きちんと受け入れてました。
父は、やっと苦しみから解放されて
うちの苦しみが終わったという安堵感もありました。
今は、たくさんの親族に囲まれてるから平気だけど、
落ち着いてきて自宅に帰る時は
きっと私は、もぬけの殻なんだろうなとわかっていました。
そこからは、私の口数は普段以上に減りました・・・
母もそこには気づいており、
一生懸命、私に声掛けをするものの
私の返事は、「うん・・・」ばかり・・・
心配してたことでしょう。
「うん・・・」ということは、
私にとって最大限の精いっぱいの言葉でした。
私が話をしなくなった時は、
限界を超えてるサインなんです。
心にぽっかり穴が空いたような・・・
何にも考えれないんです。
でも、傍からみると、
何かを考えてるように見える・・・
だから、心配になるのでしょうね。
そんな時は、一人になるのが一番なんですが、
一人になれないのがうちの実家なんです。
父はいつもこんな気持ちだったんだろうな・・・
そう思うと、父の日々の忍耐はほんまに尊敬しかないんです。
私には、出来ない事だから・・・
なぜかいつも自宅に帰る時、
福岡に入ると涙が出るんです。
それには意味がありました・・・
父の思い入れがあったんです・・・
今回、たくさんの人と久しぶりに会って
色んな話を初めて聞きました。
その話の中の一話なんですが、
私が生まれた日、父は仕事に戻らないといけない日だったそうです。
母が産気づいてる中、
複雑な気持ちで、父は駅へ向かったそうです。
私が生まれてすぐ、叔母(母の一番上の兄の奥さん)が
別の叔母(母の二番目の兄の奥さん)に
「女の子が生まれたから、今、〇〇さん(父の名)が駅に向かったから
今行けば間に合う。女の子だよって伝えてきて。」と言われ、
走って行ったそうなんです。
その時の父の顔は、仕事に戻りたくなさそうな表情をしていたそうです。
でも、当時は、仕事第一・・・とてもツラかったと聞きました。
そんな仕事へ戻る電車の中から景色を見ていたら、
綺麗な稲穂が目についたそうなんです。
私の名前の由来は、そこからきており、
父がつけてくれた名前です。
そんな話・・・なんで生きてる時に話してくれなかったのよ・・・
父の口からそんな話を聞いてたら、もっと嬉しかったのに・・・
きっと、そんなこともあり、父はずっと後悔していたのでしょう・・・
だから、自分が死ぬ時、私には会えないと不安だったのだと思います。
その後悔を晴らすかのように、
私が父の最後に間に合って立ち会えた事は、
ほんまに良かったです。
そんな父の過去があるからこそ
出来る限り家族との時間を何が何でも
大切にしてきたのかもしれません。
そんな事も知らずに、
私は・・・家族よりも自分の時間や自由を大切にしていました。
失って初めて気づく・・・遅すぎる・・・
でも、その後悔は必ず晴らせます。
父と叔父(父の弟)は、ほんまに見た目がそっくりなんです。
叔父は、結婚もしたことはなく独り身です。
自分が悪くなったら、誰も見てもらえないと
とても不安になってる胸の内を最近、話してくれました。
だから、何かあったら叔父の面倒は私が看る。
そう心に決めてます。
父の面倒を看れなかった分、
私が叔父の面倒を看る。
それで許してほしい・・・
きっと、父の事だから、許さないなんて思ってもないはずです。
ただ、父から聞こえた心のメッセージは、
「〇〇(私の名)、弟を頼む・・・」そう聞こえました。
叔父も「あんちゃんが話すことが出来たら
頼れたのに、もう頼れないから
頼る人が俺にはいない・・・」と切なく言ってたんです。
だから、「同じ独り身同士、
二人で支え合っていこうね」と叔父と約束をしました。
正直、叔父の事も私は心配です。
約1年前には、叔父の母の死。
そして、約1年後には兄(私の父)の死。
叔父は、見せないけど、
ショックは、私が思っているより大きいと思っています。
私の父の死も自分が思っているよりダメージは大きいのです・・・
日に日に寂しさも増しますし、後悔も出てきます。
でも・・・私は、これから父の写真に向かって
毎日、毎日、小さな感謝を伝えていこうと決めました!
いつまでもメソメソしてる私を父は見たくないはずです。
少しずつ少しずつ、父の死も受け入れて涙を流さなくてすむように
感謝と尊敬を父に伝えていく!
父さん、たくさんありがとう!
今、私が生きれてるのは、父さんが一生懸命頑張って
我慢してくれたおかげです!
最後まで心配ばかりかけてごめんね・・・
素直に話せなくてごめんね・・・
それでも、黙って見守ってくれてありがとう!
Thank you for reading today too.
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