とても面白い本を読んだ。
「出島遊女と阿蘭陀通詞」(片桐一男/勉誠出版)。
江戸時代の鎖国政策下(近々、この鎖国といふ言葉は消えるかもしれないほど、最近いろいろな調査が進められてゐるさうですがー)、長崎の出島に集ふオランダの商館人とそこへと呼ばれてゆく遊女の話です。
狭い出島のなかに、オランダの商人と長崎奉行下の通詞と、そして遊女たちが小さなユートピアを築いてゐたかもしれない、といふ世界です。
遊女たちが商人たちへ差し出すふみのなんと流麗な文章、そして、その心持ちの素敵なことー。
もちろん、通詞たちが翻訳して渡してゐるのですが、それでも、逢瀬の時には無言といふこともないでせうから、オランダ人は片言の日本語で、遊女たちはうる覚えのオランダ語で話したことでせうー。
江戸時代に、ある意味時代の陰で、悠々と外国語を話したかもしれない遊女たちが力強く毎日を生きてゐたー!
その事実を知っただけでも、読んだ意味がありました。
ちなみに、
かつて山形市にも大きな遊郭街があり、今は飲み屋街になってゐますが、かつても面影を残して今に至る料亭もあります。
小さな路地の先に、客と遊女が待ち合はせに使ったかもしれないといふその店で幾度か飲んだことがありました。
いい悪いではなく、いち時代の名残りとして残ってゆくべきでせう。
「出島遊女と阿蘭陀通詞」(片桐一男/勉誠出版)。
江戸時代の鎖国政策下(近々、この鎖国といふ言葉は消えるかもしれないほど、最近いろいろな調査が進められてゐるさうですがー)、長崎の出島に集ふオランダの商館人とそこへと呼ばれてゆく遊女の話です。
狭い出島のなかに、オランダの商人と長崎奉行下の通詞と、そして遊女たちが小さなユートピアを築いてゐたかもしれない、といふ世界です。
遊女たちが商人たちへ差し出すふみのなんと流麗な文章、そして、その心持ちの素敵なことー。
もちろん、通詞たちが翻訳して渡してゐるのですが、それでも、逢瀬の時には無言といふこともないでせうから、オランダ人は片言の日本語で、遊女たちはうる覚えのオランダ語で話したことでせうー。
江戸時代に、ある意味時代の陰で、悠々と外国語を話したかもしれない遊女たちが力強く毎日を生きてゐたー!
その事実を知っただけでも、読んだ意味がありました。
ちなみに、
かつて山形市にも大きな遊郭街があり、今は飲み屋街になってゐますが、かつても面影を残して今に至る料亭もあります。
小さな路地の先に、客と遊女が待ち合はせに使ったかもしれないといふその店で幾度か飲んだことがありました。
いい悪いではなく、いち時代の名残りとして残ってゆくべきでせう。