おはようございます、バレエ教師の半澤です!
今日も休まずにやっております。どうぞレッスンに
いらしてください。
通常の平日は朝は11時から初中級レベルのレッスン、夕方5時20分は
初級、夜7時から中級レベルのレッスンがあります。
皆さま、お待ちしております!
ホームページ半澤正司オープンバレエスタジオHP http://hanzanov.com/index.html
(オフィシャル ウエブサイト)
私のメールアドレスです。
rudolf-hanzanov@zeus.eonet.ne.jp
http://fanblogs.jp/hanzawaballet3939/
創業36年、本場博多のもつ鍋・水炊き専門店【博多若杉】
連絡をお待ちしてますね!
2020年12月23日(水)寝屋川市民会館にて
半澤正司オープンバレエスタジオの発表会があります。
Dream….but no more dream!
半澤オープンバレエスタジオは大人から始めた方でも、子供でも、どなたにでも
オープンなレッスンスタジオです。また、いずれヨーロッパやアメリカ、世界の
どこかでプロフェッショナルとして、踊りたい…と、夢をお持ちの方も私は、
応援させて戴きます!
また、大人の初心者の方も、まだした事がないんだけれども…と言う方も、大歓迎して
おりますので是非いらしてください。お待ち申し上げております。
スタジオ所在地は谷町4丁目の駅の6番出口を出たら、中央大通り沿いに坂を下り
、最初の信号を右折して直ぐに左折です。50メートル歩いたら右手にあります。
連絡先rudolf-hanzanov@zeus.eonet.ne.jp
ブルーカーテンの向こう側…(男バレエダンサーの珍道中!)
第112話
「何処かに銀行は無いかな…?」広いプロスペクト・
ミーラ(ミーラ大通り)は片道が5車線ほどもある
巨大な通りで、空気が灰色によどむほど、そこには
ソ連の酷い車がボーボーと黒い排気ガスを吐き出し
ながら走っている。なんと酷い臭いか。「ゴホッ、
ゴホッ!」と咳が出るほど本当に酷い空気だった。
道行く人の数が日本などとは比較にはならない。
そして驚くのはその多種の顔ぶれだ。金髪の西洋人
みたいな髪なのに、顔がアジア人ぽい人もいれば
アラブ人もいる。かと思えば、かなり怖い人相の
モンゴル人やベトナム人もいた。「モンゴル人って
不気味なお面を着けてるみたいですね…」などと
言ってしまおうものなら、モンゴル人の人に「お前は
自分どんな顔だと思ってんだっ!」と怒られるので、
思うだけに留めておいた。
それにしても本当に色々な人種が混じった大国である。
世界地図を見ればこの国がどれほど大きな事かが一目
瞭然だ。東はシベリアから西はドイツの方まである
のだ。北は北極海の方から南は中国近くやアラブ系の
国々の近辺までだだっ広い。因みにこの当時はベトナムは
共産主義であったから、ロシアには多数のベトナム人が
入り込んでおり、中近東の方もコサックで有名な
グルージア諸国やオデッサ地方の国もソ連に包みこまれ
ていた。果てはトルコの東の方面までソビエトが無理やり
侵攻して領地を分捕ったのだ。
故に多種の人種が入り混じるのもなるほど…なのである。
そこに日本人が侵入して商売やっているのであるから、
ショージも自分の内面にあったふてぶてしさに自分でも
呆れた。「何処かに銀行は無いかな…?お、あれは
銀行じゃないかな…よしっ、行ってみよう!あ、
ポーチはちゃんと腰に…ん、大丈夫ちゃんと付いてるし。
待てよ…中身は無事か?チャックを開いて…よしっ、
大丈夫!じゃ、銀行に突撃~っ、行ったらんか~いっ!」
モスクワの銀行事情
ポーチの中の財布の少々のドル紙幣と、腹に巻き付けて
誰にも分らないように隠してある内緒の財布には1ドル
紙幣がたくさん入っていた。それを取り出し、ルーブル
に両替するのだ。「今は何ドルが何ルーブルに両替
出来るのかな?」電光掲示板では無く、四角いプラス
ティックの白いボードに数字を銀行員の手で並べ替える
簡素な物であった。「銀行ならもうちょっと金を
かけろよ!」と言いたいところだが、それよりも両替を
するために為替の表示板をジーッと見つめた。
ショージの他にもアメリカ人のツアー客みたいな人たちも
数人並んでいた。ショージはドルを持って来ていて
良かったと改めて思った。何故ならばここロシアでは
限られた国の金しか両替出来ないのだ。例えばソビエトの
時代では日本の金は両替など出来ないし、スウェーデンの
金も駄目である。イタリアも駄目なのだ。
アメリカのドルとスイス、イギリス、ドイツなどの主要国
以外は駄目なのである。今でこそ日本の金もイギリスの
ポンドやドイツのマルク…今や、ユーロになったが、
大丈夫になったのはソビエトが崩壊してからだ。そう言った
訳でショージがうろうろと策略を見つけながら彷徨って
いるこの時代では、ツーリストに優しくない銀行体制であった。
(つづく)