半澤正司オープンバレエスタジオ

20歳の青年がヨーロッパでレストランで皿洗いをしながら、やがて自分はプロのバレエダンサーになりたい…!と夢を追うドラマ。

ブルーカーテンの向こう側…(男バレエダンサーの珍道中!)第20話

2021-07-24 07:44:12 | webブログ

バレエ教師の半澤です。
いつも当スタジオをご利用頂き、
ありがとうございます!
コロナに負けずに年中無休で頑張っております。
この度、新しい生徒さん、ダンサーに皆様にも
来て頂けるように「お友達紹介キャンペーン」を
する事にしました。

1,新規お友達の体験レッスン1回無料!
2,ご紹介くだされば、その場で1000円キャッシュバック!

平日は朝は11時から初中級レベルのレッスン、夕方5時20分は
初級、夜7時から中級レベルのレッスンです。
土曜日は朝11時からのレッスン、夕方6時です。ポアントもあります。
日曜日は朝10時から初級のレッスン、12時から初中級のレッスンです。
ポアントもあります。

皆さま、お待ちしております!

ホームページ半澤正司オープンバレエスタジオHP http://hanzanov.com/index.html
(オフィシャル ウエブサイト)

私のメールアドレスです。
rudolf-hanzanov@zeus.eonet.ne.jp
http://fanblogs.jp/hanzawaballet3939/


連絡をお待ちしてますね!

2021年12月19日(日)寝屋川市民会館にて
半澤正司オープンバレエスタジオの発表会があります。


Dream….but no more dream!
半澤オープンバレエスタジオは大人から始めた方でも、子供でも、どなたにでも
オープンなレッスンスタジオです。また、いずれヨーロッパやアメリカ、世界の
どこかでプロフェッショナルとして、踊りたい…と、夢をお持ちの方も私は、
応援させて戴きます!
また、大人の初心者の方も、まだした事がないんだけれども…と言う方も、大歓迎して
おりますので是非いらしてください。お待ち申し上げております。

スタジオ所在地は谷町4丁目の駅の6番出口を出たら、中央大通り沿いに坂を下り
、最初の信号を右折して直ぐに左折です。50メートル歩いたら右手にあります。

バリエーションは「タリスマン」です。柔らかい手先を滑らかに回してみます。
所々のポジションは変化しますから、要注意ですね!

連絡先rudolf-hanzanov@zeus.eonet.ne.jp

ブルーカーテンの向こう側…(男バレエダンサーの珍道中!)
1983年 春(19歳)六本木クラブ「愛」
第20話 
ショージは今までアルバイトとして勤めていた鉄板焼き
「アキ」を辞めてしまった。その理由はショージが
友人の女子ダンサーからある相談を受けた事からだった。
「仕事をしないと家ではもう助けてもらえないの…でも
今まで仕事なんてした事がないし、どうやって探せば
いいのかも分からないの…」そこでショージは自分が
働いている鉄板焼きの店「アキ」の店主に掛け合って
みる事にした。

店主は目を丸くしてショージに言った。「君一人でも、
本来ならいらなかったんだがね…ならばこうしよう。
私がこの女の子を雇うとする。だがその代わり君に
辞めてもらわなければならない…」今度はショージが
目を丸くした。「僕はまた仕事を探せばそれで良い。
だけど彼女をなんとか救ってあげたい…」店主に言った。

「では今日まで本当にありがとうござました。お蔭で
本当に助かりました。では由美ちゃんの事をどうぞ
お願い致します…」女の子はこれで救われた。
ショージは新しいバイトを探すために必死に六本木中を
歩き周ったが、働ける場所は見つからなかった。
働き口がないと言う事はバレエのレッスンがもう
出来なくなるだけではなかった。食っていけない事
であり、飢え死にする事だった。アパートの家賃も
2カ月分たまっていた。家主に言われた。「今週中に
家賃を払えなければここから出て行ってもらう!」

家賃をバレエのレッスン費に回してしまったのだ。
「今日中になんとか仕事を探し出さないと本当にまずい
事になってしまう…」必死になって探した。それで
も見つからなかった。そんな折、ある店のガラスに
「従業員募集」とチラシが張ってある。

「あ、ここが良いかも…」どうやら怪しいホスト
クラブだった。クラブがまだ始まっていない時間帯に
店の中に入って行った。中には自称マネージャーと
呼んでいる30代の怖そうな顔つきの男と面談した。
「ここで働きたいだと?お前は幾つだ?それにスーツ
を持っているか?」ショージはスーツなど1着も
持っていなかった。それよりもこんな恐ろしそうな
男の元では安心して働く事は無理だと思った。
ショージはそのホストクラブの店を出て来て道を
歩きながら途方に暮れた。


頭をだらんと垂れながら六本木から麻布十番への
坂を下って来ると、その坂の下から見えた一つの
小さな看板が目に留まった。それはクラブ「愛」
だった。ここでショージの人生の上で最も大切な
師であり、母のような大きな存在であり、また
ショージがバレエを続けていくに当たって最高の
応援者である人に出会う事になる。ショージの生涯の
大恩人であり、生きる強さを教えてくれた人だ。
(つづく)