時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

代表作の功罪

2007年04月23日 | 音楽全般

アーティストというものは、クリエイティブでありたいと思うものである。
絶えず、傑作を生み出したいと思って仕事に励むものであろう。
過去にどんな素晴らしい作品を生み出していても、次に発表する作品こそ、自分の代表作である・・・という気持ちを持って次回作に励んでいると思う。

また、そういう気持ちがなければ、クリエイティブではいられないのではないか?とも思う。

だが、代表作と呼ばれるものは厄介でもある。

どうしても、その人の生み出した代表作に、ファンは縛られてしまう場合があると思う。
また、アーティスト本人もそうであったりするから、厄介なのだ。

発表する作品すべてが代表作であるなら、それに越したことはない。
だが、現実には、代表作と呼べるものを作り出せないまま消えてゆく人は多い。
仮に代表作を発表できたとしても、その作品以外の作品はたいしたことがない場合もある。


代表作がないクリエイターにとってみれば、1作品でも代表作と自他共に認めるような作品が発表できたことは、幸せでもあるし、素晴らしいことでもある。


代表作を1作品発表すると、アーティストは数多くの新たなファンを獲得する。
で、ファンは、その代表作と同等の素晴らしい作品、もしくはそれを越えるような作品をそのアーティストがその後も発表してくれるだろうという期待を持ってしまう。

まあ、だからこそ、ファンがつくのであろう。

だが、それはアーティストにとっては、相当なプレッシャーであろう。
仮に、発表してきた作品全作が代表作とされてしまった場合、特にそのプレッシャーは相当なものであるだろう(まあ、そんなことはほとんど無いのだが)。
その結果、寡作になっていってしまう。

そうなると、過去に発表した代表作は重荷にもなってくる。
アーティストにはライバルという存在はつきものだが、この場合、代表作を作った「過去の自分」が何よりのライバルになってしまうだろう。


移り変わりの激しい今の世の中にあって、新作と新作の間のブランクが長くても、ちゃんとファンは覚えていてくれる・・・そんな存在になれれば幸せではあるのだが、プレッシャーは相当なものだろう。

仮に、長期間かかって完成させた新作が凡作だった場合、マスコミ(評論家など)からは叩かれたり、前作と比較されて酷評されたりもするし、ファンも失望するだろう。
離れていくファンだっているだろう。
そういう意味じゃ、新作を発表するのは一種の賭けでもあるだろうし、発表したアーティストにとってはドキドキものなのではないだろうか。

そういう意味じゃ、一番賢いのは、1作にあらゆる才能を注ぎ込まず、「世紀の大傑作」を1作発表するよりも、一定のグレードだけは押さえた「好作品」を一定周期で確実に発表し続けるのが、地位のためにも精神のためにも良いのかもしれない。
この場合、変な例えをすればサラリーマン化するようでもある(笑)。

だが、クリエイティブであることには、波もあるだろう。
一番調子の良い時に、惜し気も鳴く才能を注ぎこんでしまいたくもなるだろう。

そう考えると、クリエイティブであればあるほど、サラリーマン化したアーティストにはなりにくいかもしれない。

だいいち、サラリーマン化してしまったら、アーティスト自身もつまらないだろうし、ファンもつまらなく感じるかもしれない。


創作活動には波がある。
高波の時は大傑作・代表作を発表でき、さざなみの時は凡作を発表してしまうだろう。

でも・・・ある意味では、だからこそ面白いのかもしれない。






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