小学生の頃、抜き打ちで試験などをやられた時。
普段あまり勉強などしていなかった私は、正直テストの点数は決して良い方ではなかった。
というか、悪い点数の方が多かった気もする。
で、先生から返却された、さえない点数の答案用紙なのだが、どうも家に持って帰るのが憂鬱だった。
家に持って帰れば、親に見られる。悪い点数だと、親に見られたくない。見られたら、小言を言われただろう。
できれば隠していたい。
だが、自宅だと、隠しておいても親に見つかる可能性がある。
ならば・・学校の机の中に入れっぱなしにしておけば、親には見られないだろう。
そう思うと、ついつい学校の机の引き出しの中に入れっぱなしにしてしまっていた。
テストというのは、年に何度もあったので、勉強をあまりやらない小学生だった私の「点数つきの答案用紙」は、次第に学校の引き出しの中に溜まっていった。
誰だって、悪い点数の答案用紙など、親には見せたくないし、できれば家に持って帰らずに済ましたい・・・そう思う子は、私だけでなく、他にもいた。
だから、机の引き出しの中に、くしゃくしゃに丸められた紙がいくつも入っている子は、けっこういた。
そういう子同士は、そのへんは「お互いさま」なので、机の引き出しにそういうクシャクシャの紙が詰まっていても、互いに「気づいていながらも、見て見ぬふり」をしていた。
その紙が、答案用紙であることは、暗黙の了解で互いに分かっていた。
ある時。
私同様にあまり勉強をしなかった級友と、何かの話題になった。もしかしたら口げんかだったかもしれないし、遊び道具の話で盛り上がったのかもしれない。どんな内容だったかは覚えていないが、ついつい話のはずみで、机の引き出しの中の話になった。
で、私が自分の机の引き出しの中から何かを探そうとして、引き出しの中をまさぐりはじめた。
だが、目的のものは中々見つからなかった。
その時。
その子は言った。暗黙の了解を破って。ある意味、互いにあまり勉強をしてない者同士としてはタブーのセリフを吐いた。
私が引き出しの中から目的物を中々出せないでいるのを見て、その子は・・
「どうせ、だんぞうの机の中は点数の低い答案用紙で溢れているんだろう?だから見つからないんだよ」・・そんな主旨のセリフを彼は吐いたような気がする。
「君が、それを言うか?!」と私は心の中で想いながらも、「違うよ、答案用紙だけでなく、色んなものが引き出しには保管してあるんだ」と大見栄を切ったようなセリフを私は吐いた。
彼は「ならば見せてみろよ」と言って、私の机の引き出しをまさぐった。
で、おもむろに彼は、私の机の中に詰まっていた「クシャクシャの紙」を取りだした。
で、
「ほうら、やっぱり答案用紙じゃないか!」と勝ち誇ったように彼は、その紙を手にとって、広げてみせた。
私は「もうだめだ、ナムサン」みたいなことを思い、思わず目をつぶった・・・ような気がする。
ところがである。
彼が手にとって広げた答案用紙の点数は・・・
85点であった。
つまり・・私は85点の答案用紙も、机の引き出しにしまいこんでいたのだった。
悪い点数の答案用紙と共に、いっしょくたに。
いつも100点か、それに近い点数をとっている子ならともかく、85点という点数は、普段あまり良い点数をもらっていない者にとっては、決して恥ずかしい点数ではない。
彼はそれを見て思わず言った。
「げっ、良い点!!」
その紙を広げるまで、「しまった、もう駄目だ」と思ってた私だったが、そこに現れた85点という数字の答案用紙を見て、私は一気に形勢逆転したような気分になった。
「あ、僕さ、テストは机の中に保管することにしてるんだ。隠してるんじゃなくて、保管だよ、保管。この点数見れば、分かるよね?」
と、勝ち誇ったように、さも何事でもないふりをして、私は彼に言った。うそぶいて(笑)。
次の瞬間、すごすごと彼が立ち去ったのは言うまでもない。彼も勉強が出来る奴じゃなかったから。
それにしても、実際、開いた答案用紙の点数が85点であったことに一番驚いたのは、実はむしろ私自身のほうだったと思う。
この点数なら、普通なら家に持って帰っていたと思うのだが、まさかそんな答案用紙を、他の低い点数の答案用紙と一緒くたにクシャクシャにしていたとは。
なぜ、持って帰らなかったのだろう。
それは今もわからない。きっと、点数をよく確かめもせずに、「いつものように」その答案用紙を引き出しに入れてしまったのかもしれない。
で、そういう点数は、私は普段は中々とってなかったと思う。
たまたま、珍しくそういう点をとっただけだったのではないか。
あるいは・・今、当時のことを推測するに・・・
少なくても机の引き出しの「奥」には、50点以下の「通常の自分の点数」の答案用紙が詰まっていて、それをごまかすために、わざと手前に「85点」の答案用紙を置いて、カムフラージュしてたのではないか。
だから、前述の級友がおもむろに私の机の引き出しの中をまさぐって、手前にあった「取りやすい答案用紙」を取ったら、85点が出てきたのかもしれない。
だとしたら、私としては「してやったり」の展開だったのかもしれない。
ただ、その級友がいきなり私の机の引き出しをまさぐったら、85点の答案用紙が出てきた時は私自身も驚いたのは確か。もし自分で意図的にそれを隠しておいたにもかかわらず驚いたのは、その答案用紙を隠しておいたことを私は忘れていたのだろう。
そんな気もする。
だが、実際の理由は、もう今となっては覚えていない。
ただ・・・当時の私の点数の相場から言えば85点は「めったにない数字」。
それを持って帰宅して親に見せれば、褒めてもらえたかもしれない。
ということは・・それを捨てて(?)でも、カムフラージュの方を私は選んでいたことになる。
で、そのカムフラージュは、見事に功を奏したことになる。
う~む、もったいないような、してやったりのような・・(笑)。
その答案用紙を持って帰って親に褒められたほうがよかったのか、あるいはそうして机の中に隠しておいて、いざという時のカムフラージュ用にしておいたほうがよかったのか、どちらが得だったのかは、今となっては私にはわからない。
小学校時代などに、さえない点数の答案用紙を家に持って帰らずに、学校の机の中にいれっぱなしで隠しておいた経験・・・あなたにはないだろうか?
まさしく「今だから話せること」です。
私は、数学系のテストが弱く、点数も10点未満だったことも珍しくありませんでした。
その場合、どう対処したか…?
得意科目である国語科・社会科であれば、いつもより点数が多少悪くても、余裕綽々で家に持ち帰っていました。
しかし、数学テストだけは、数学自体が大変苦手だったこともあり、点数が極めて悪い答案を御両親に見せることなど、絶対にしませんでした。
放課後、清掃の時間、零点に近い数学テストを、学校焼却炉に放り込むか、帰宅途中にあった川に流すか等していました(笑)
何らかの事情で、そういう処分が出来なかった場合、(家族がいない隙を見て)自宅の庭にて燃やすか、私の部屋の机の裏に隠すか、していましたよ。
今の学校でも、同じような処理をしている子供たち、結構いるかもしれませんね(笑)
ついでに、だんぞうさんの85点の答案、先生から返却された時に「どうせ、これもダメだ」という先入観で机の奥にしまい込んでしまった物と考えられます。
困るのは、たとえ自分が隠しておいて、テストがあったのを内緒にしていても、親が親同士の会話で、学校でテストがあったのを知ってしまうことがあったことです。
もしかしたら私は、そんな時の対策で良い点数の答案用紙をも隠しておいたのかもしれません。
で、テストがあったのが親にバレたら、その良い点数の答案用紙を持っていく、、、そんな作戦で。
鮎川さんは川に流したこともあったのですか?
そ、それはちょっと危険なような、、、。
燃やすならまだわかりますが(笑)。
ともかく、家に持って変えるのは危険だと私は思ってたはずです。
今の子供も、似たようなことやってるかもですね。
でもそれを子供に聞いても、本当のことは言わないでしょうね。
誰だって親に怒られるのはイヤでしょうから。
中学校や高校のように定期的に行われていなかった事が原因かもしれません。
憶えているのは小学校の5年の時。
この時の担任がやたらと他のクラスと張り合う事が好きな人で、
テストを生徒に返す時「今回の学年全クラスの平均点は○点、このクラスは○点でした。
もっとがんばらないと、他のクラスに笑われますよ」などとのたまうのでした。
とにかくそれが嫌で嫌でたまりませんでしたね。
他のクラスの友達に聞くと、平均点なんか聞いたこともないとの事でした。
まあ若い先生でしたからね、ちょっと張り切りすぎてたんでしょうね。
そんな担任でしたからね、1週間のテスト予定が書かれたプリントを土曜に配るのです。
だから親にテスト結果を見せないわけには行きませんでした。
当時の私にとっては地獄のような1年でした。
6年になって彼女が担任外れた時はマジで嬉しかったことを憶えています(笑)
そう言えば机の中に食べ残した給食のパン入れてた奴がいたなあ。
もうカチンカチンになってて…(笑)
ぬきうちですから、いきなり来るんです。
捨丸さんの小学校5年の時の先生は、他のクラスと比較することで対抗心を煽っていたんですね。
でも、その他クラスの平均点は、その先生がでっちあげたものだったのかもしれないですね。
比較されるのは、確かに嫌ですね。
その先生はその方法で成果をあげていたのでしょうか。
親にテスト情報がつつぬけだったのでしょうか。
それは辛い・・。
返却された答案用紙を隠しておくなんてできないですもんね・・。
私の学校では、机の中に答案用紙をくしゃくしゃにして隠している奴は、けっこういましたよ。
悪い点数の答案用紙を親に見せるのはいやでしたから、誰も考えることは同じだったんです。
さすがに食べ物を机の中に隠している奴は・・いなかったかも(笑)。
その中で思い出に残ってるのが、2年生の時に九九の計算の問題で100点をとった時の事。
誕生日やクリスマスでもないのに夕食の後、母がケーキを出してくれたのです。
ちっちゃいバタークリームのショートケーキでした。「次もがんばりなさい」って言われましたが、その後はなかなか100点は取れませんでしたね(笑)
小学校時代の机はもちろん木製で、なぜか2人で一つという形のもの。
ただ上の部分が蝶番で開くもので、そこがそれぞれの物入れになってました。
後年、あるイベントで昭和30年代の小学校の教室が再現されていたのですが、
そこにあったのはちょっと古いけれどパイプタイプの机で1人用、しかも上は合板製でした…
「こんなんとちゃうわ!」と心の中で突っ込んでましたよ(笑)
きっとあの頃私たちが使ってた木製で黒っぽい色の机なんて残ってなかったのでしょうね。
あの頃すでに相当古かったように記憶してますもん。上の部分なんてあちこちに穴が空いてたし、名前が彫ってあったりしましたもんね(笑)
かなり使いこまれていて、表面はデコボコしてましたし、小さな穴もあいてたりしました。
で、2人でひとつでした。真ん中に一応境界線みたいなものはありました。
でも中学にあがったら、机はパイプタイプでした。
それだけでも、モダンに感じたもんでした。