小学校の頃の、とある年に、私は親にさんざんねだって天体望遠鏡を買ってもらった。
多分、誕生日のプレゼントだったと思う。
テレビアニメ、漫画などでは宇宙は定番の舞台だった。
アニメや漫画が大好きな少年だんぞうとしては、宇宙に興味を持つのは自然の流れだった。
当時住んでた家は都会にあり、見上げる空は狭かった。
隣の家の屋根などに邪魔されて。夜空は申し訳程度に見えるくらいだった。
だが、庭に出ると、隣の豪邸の庭の空き地と地続きで、部屋の窓からみるよりは多少視界が開けた。
だから庭に天体望遠鏡を持ち出し、三脚で固定し、夜空の星を眺めた。
普通の星は、だめだった。多少「点」が大きくなるくらいで、何がなんだか判別できなかった。
だが、月だけは、それなりによく見えた。
月や夜空をみるたびに、地方の空気のきれいな場所に天体望遠鏡を持って行きたくてたまらなかった。
だが、実際にたまに家族旅行に出る時などは、天体望遠鏡はかさばってしまい、とても持っていけなかった。
当時、宇宙の図鑑は何冊か持っていた。
図鑑に出てる宇宙の写真はすごかった。
アンドロメダ星雲、かに星雲、木星、土星、その他もろもろ。
それらの写真と比べると、自分の持ってる天体望遠鏡での映像はチャチに見えてしかたなかった。
大きくなったら、天体観測所に勤めるのも悪くないと思ってた。
そうすれば宇宙の謎を少しでも解明できるのではないかと思った。
だが・・・あまりに宇宙は広すぎて、人間がどんなに長生きしても天体望遠鏡に映る他の星雲には行けないことも分かった。
それこそ冬眠するか、ワープでもしないかぎり。
だが、それだと、いざ地球に帰ってきたら、もう知ってる人たちは生きてはいない。
親も、友も、好きな女の子も。
そう思うと・・・幼心に「寿命」というものがリアルに感じられて、寂しい・・というか、怖い・・というか、そんな気分にとらわれてしまった。
そうこうしているうちに、宇宙の謎を解明する夢は、自分の中で小さくなっていった。
誰か頭の良い人に任せるしか無い・・そういう結論に達したのだった。
だが・・・今でも、デパートなどで天体望遠鏡が売られているのを見ると、幼い頃に天体望遠鏡にかけた夢が蘇ってくることがあり、ちょっと甘酸っぱい想いがこみあげてくる。
当時、私が見た天体望遠鏡のレンズに映っていたのは、月や星のように見えて、実は「届かぬ夢」が実体化した姿だったのかもしれない。
多分、誕生日のプレゼントだったと思う。
テレビアニメ、漫画などでは宇宙は定番の舞台だった。
アニメや漫画が大好きな少年だんぞうとしては、宇宙に興味を持つのは自然の流れだった。
当時住んでた家は都会にあり、見上げる空は狭かった。
隣の家の屋根などに邪魔されて。夜空は申し訳程度に見えるくらいだった。
だが、庭に出ると、隣の豪邸の庭の空き地と地続きで、部屋の窓からみるよりは多少視界が開けた。
だから庭に天体望遠鏡を持ち出し、三脚で固定し、夜空の星を眺めた。
普通の星は、だめだった。多少「点」が大きくなるくらいで、何がなんだか判別できなかった。
だが、月だけは、それなりによく見えた。
月や夜空をみるたびに、地方の空気のきれいな場所に天体望遠鏡を持って行きたくてたまらなかった。
だが、実際にたまに家族旅行に出る時などは、天体望遠鏡はかさばってしまい、とても持っていけなかった。
当時、宇宙の図鑑は何冊か持っていた。
図鑑に出てる宇宙の写真はすごかった。
アンドロメダ星雲、かに星雲、木星、土星、その他もろもろ。
それらの写真と比べると、自分の持ってる天体望遠鏡での映像はチャチに見えてしかたなかった。
大きくなったら、天体観測所に勤めるのも悪くないと思ってた。
そうすれば宇宙の謎を少しでも解明できるのではないかと思った。
だが・・・あまりに宇宙は広すぎて、人間がどんなに長生きしても天体望遠鏡に映る他の星雲には行けないことも分かった。
それこそ冬眠するか、ワープでもしないかぎり。
だが、それだと、いざ地球に帰ってきたら、もう知ってる人たちは生きてはいない。
親も、友も、好きな女の子も。
そう思うと・・・幼心に「寿命」というものがリアルに感じられて、寂しい・・というか、怖い・・というか、そんな気分にとらわれてしまった。
そうこうしているうちに、宇宙の謎を解明する夢は、自分の中で小さくなっていった。
誰か頭の良い人に任せるしか無い・・そういう結論に達したのだった。
だが・・・今でも、デパートなどで天体望遠鏡が売られているのを見ると、幼い頃に天体望遠鏡にかけた夢が蘇ってくることがあり、ちょっと甘酸っぱい想いがこみあげてくる。
当時、私が見た天体望遠鏡のレンズに映っていたのは、月や星のように見えて、実は「届かぬ夢」が実体化した姿だったのかもしれない。