音楽の世界だけではないのだが、ある人を表現する時に「あの人はホンモノだ」という表現をすることがある。
この場合、「ホンモノ」には一種の敬意が込められている・・・・はず(笑)。
「ホンモノ」がいるなら、「ニセモノ」もいるわけで。
「ホンモノ」は、他の「ニセモノ」と区別するために使われることが、多々ある。
では、何かをクリエイトする作業に従事している人たちを区別する場合、ホンモノとニセモノの違いって何だろう。
だいいち、「ホンモノ」の定義って、何さ?
一心不乱に、それを追求し実践してる人のこと?
凄いって意味?
真の意味でオリジナルって意味?
確固たる個性があるって意味?
凄いと思わせる奴のこと?
基本がちゃんとできている人のこと?
技術を身につけているってこと?
人に認められてるってこと?
案外、個人的なレベルで単純に「好き」と思える奴のこと?
きっと、ある程度そのどれもを総括して持ってる人のことをいうのだろう。
私個人的な考え方としては、シンプルに言えば、「伝えられるもの」を持ってる人のことなんだろうと思ってる。
こう書くと、極端な話、技術を何も持っていない小さな子供が感情にまかせて何かの歌を歌った場合でも、何か伝わってくるものがあれば、その子は「ホンモノ」ってことにもなってしまう(笑)。まあ、ある意味ではそれも「ホンモノ」ではあるのだろう(笑)。
そこで、あえて付け加えさせてもらえば、人にちゃんと伝えることができ、しかも聴いてる人を感動させることができる人のこと・・・と書けば、私なりの「ホンモノ」観に近い。
単に技術が優れていても、それが感動に繋がるとは限らない。感心することはあっても。
感心するっていうのと、感動するっていうのは微妙に違う。ある意味では、大きく違う。
楽器演奏で言えば、指が早く動いたり、難しいフレーズやコードワークを器用に弾きこなしても、それが「感動」という形で人に伝わるとは限らない。感心はしても。
「うまいね」で終わりだったりもする場合すらある。
ボーカルとて、それは同じ。
音程が広い、音程がしっかりしてる、発声法が理にかなっている、強弱・ビブラートなどのテクニックがある、などなどの技術があっても、技術だけで聴かされたら 単に「うまいね」で終わってしまう場合がある。
ソングライティングでも同様。
メロディが聴きやすい、親しみやすい、きれい、キャッチー、展開がうまい、などなど。
歌詞がまとまっている、比喩が面白い、言葉使いが凝っている、など。
それらは、曲作りの技術の結果と言える場合も多いだろう。
でも、出来上がった曲として聴いてみた場合、聴きやすいだけで通り過ぎていってしまうだけだったり。言葉でいえば「悪くはない」で終わりだったり。
ライブパフォーマンスで言えば、「慣れ」でパフォーマンスされると、それがいかに凝った演出であっても、客としては「感動」のレベルまではいかなかったりもする。感心はしても。
かといえば、技術はつたなくても、何か伝わってくるものがあり、それが感動に繋がる場合もある。
その場合、その人は自分の感情を音楽(でなくてもいいのだが)と一体化させており、その人の音楽というよりも、その人自身が伝わってきたりする。
そんな時に、私は感動したりする。俗に言う「ホンモノ」と思っていることになる。
まずその人本人があって、その後にその人が身に付けた技術を使いこなしてこそ活きてくると思う。
「ホンモノ」って言い方は、便利である。
人によって都合の良い解釈もできるんだよね。
だから、自分なりの「ホンモノ」観を書いてみたかった。
さて・・・・話を自分にフィードバックさせてみる。
私はどうだろう。
私は技術は拙い。伝えたいという気持ちはあっても、リスナーに伝えられているかどうかは、甚だ自信がない。自分では分からない・・。
楽器演奏、歌唱、どちらも私は自分自身が物足りない。
せめてソングライティングで・・・とは思っているのだが、こればかりはリスナーが曲をどう思うかによるところが大きい。
というのも、自作曲の判断は、作者自身の判断とリスナーの判断では、かけ離れることがあるからだ。
聴く人の音楽的趣向ってのは千差万別だし。
どうやら、その意味では、私はニセモノ呼ばわりされるのが関の山なんだろうな・・・そう思うと、今さらのように落ち込むのだ(泣)。
ニセモノはニセモノなりに、音楽で楽しませてもらいます・・としか言えないか(笑)。
ただ、ニセモノではあっても、せめて「伝えたい」という気持ちだけは常に持つように心がけていたい。
じゃないと、何でもそうであろうが、やる意味がない。
この場合、「ホンモノ」には一種の敬意が込められている・・・・はず(笑)。
「ホンモノ」がいるなら、「ニセモノ」もいるわけで。
「ホンモノ」は、他の「ニセモノ」と区別するために使われることが、多々ある。
では、何かをクリエイトする作業に従事している人たちを区別する場合、ホンモノとニセモノの違いって何だろう。
だいいち、「ホンモノ」の定義って、何さ?
一心不乱に、それを追求し実践してる人のこと?
凄いって意味?
真の意味でオリジナルって意味?
確固たる個性があるって意味?
凄いと思わせる奴のこと?
基本がちゃんとできている人のこと?
技術を身につけているってこと?
人に認められてるってこと?
案外、個人的なレベルで単純に「好き」と思える奴のこと?
きっと、ある程度そのどれもを総括して持ってる人のことをいうのだろう。
私個人的な考え方としては、シンプルに言えば、「伝えられるもの」を持ってる人のことなんだろうと思ってる。
こう書くと、極端な話、技術を何も持っていない小さな子供が感情にまかせて何かの歌を歌った場合でも、何か伝わってくるものがあれば、その子は「ホンモノ」ってことにもなってしまう(笑)。まあ、ある意味ではそれも「ホンモノ」ではあるのだろう(笑)。
そこで、あえて付け加えさせてもらえば、人にちゃんと伝えることができ、しかも聴いてる人を感動させることができる人のこと・・・と書けば、私なりの「ホンモノ」観に近い。
単に技術が優れていても、それが感動に繋がるとは限らない。感心することはあっても。
感心するっていうのと、感動するっていうのは微妙に違う。ある意味では、大きく違う。
楽器演奏で言えば、指が早く動いたり、難しいフレーズやコードワークを器用に弾きこなしても、それが「感動」という形で人に伝わるとは限らない。感心はしても。
「うまいね」で終わりだったりもする場合すらある。
ボーカルとて、それは同じ。
音程が広い、音程がしっかりしてる、発声法が理にかなっている、強弱・ビブラートなどのテクニックがある、などなどの技術があっても、技術だけで聴かされたら 単に「うまいね」で終わってしまう場合がある。
ソングライティングでも同様。
メロディが聴きやすい、親しみやすい、きれい、キャッチー、展開がうまい、などなど。
歌詞がまとまっている、比喩が面白い、言葉使いが凝っている、など。
それらは、曲作りの技術の結果と言える場合も多いだろう。
でも、出来上がった曲として聴いてみた場合、聴きやすいだけで通り過ぎていってしまうだけだったり。言葉でいえば「悪くはない」で終わりだったり。
ライブパフォーマンスで言えば、「慣れ」でパフォーマンスされると、それがいかに凝った演出であっても、客としては「感動」のレベルまではいかなかったりもする。感心はしても。
かといえば、技術はつたなくても、何か伝わってくるものがあり、それが感動に繋がる場合もある。
その場合、その人は自分の感情を音楽(でなくてもいいのだが)と一体化させており、その人の音楽というよりも、その人自身が伝わってきたりする。
そんな時に、私は感動したりする。俗に言う「ホンモノ」と思っていることになる。
まずその人本人があって、その後にその人が身に付けた技術を使いこなしてこそ活きてくると思う。
「ホンモノ」って言い方は、便利である。
人によって都合の良い解釈もできるんだよね。
だから、自分なりの「ホンモノ」観を書いてみたかった。
さて・・・・話を自分にフィードバックさせてみる。
私はどうだろう。
私は技術は拙い。伝えたいという気持ちはあっても、リスナーに伝えられているかどうかは、甚だ自信がない。自分では分からない・・。
楽器演奏、歌唱、どちらも私は自分自身が物足りない。
せめてソングライティングで・・・とは思っているのだが、こればかりはリスナーが曲をどう思うかによるところが大きい。
というのも、自作曲の判断は、作者自身の判断とリスナーの判断では、かけ離れることがあるからだ。
聴く人の音楽的趣向ってのは千差万別だし。
どうやら、その意味では、私はニセモノ呼ばわりされるのが関の山なんだろうな・・・そう思うと、今さらのように落ち込むのだ(泣)。
ニセモノはニセモノなりに、音楽で楽しませてもらいます・・としか言えないか(笑)。
ただ、ニセモノではあっても、せめて「伝えたい」という気持ちだけは常に持つように心がけていたい。
じゃないと、何でもそうであろうが、やる意味がない。