ケサラと言えば、イタリアが生んだスタンダードソングであり、誰もが認める世界的な名曲だ。
この曲をカバーしている人は多いが、代表的シンガーとしてはホセ・フェリシアーノが有名。
私は、この曲のメロディを初めて聴いたのは、ラジオであり、中学の頃だったと思う。この曲は、流行り関係なく、歌い継がれている曲なので、リアルタイムでヒットしている頃ではなかった気もする。
この曲のメロディラインには、私は決定的・・というか、根幹にかかわるくらいの影響を受けている。
私にとっては、良いメロディの究極とは、この曲・・・・そんな思いがあるようだ。
「ようだ」と書いたのは、無意識のうちに、このメロディが出てくるからだ。
というのは、昔、何か良い曲を書きたい・・・と思って曲を作っている時に、無意識のうちにこのメロディが出てきてしまい、さも自分で作ったかのごとく錯覚していたそのメロディを後から検証してみたら、「ケサラ」と同じだったり、ちょびっと変えただけのまがいものだったりしたことが何回もあったからだ。
それほど心に染み込んでいる「基本の曲」なのに、なぜ、さも自分が作ったかのように無意識のうちにそのメロディを使ってしまったかというと、理由がある。
実は、このメロディが「ケサラ」というタイトルの曲であることを知ったのは、初めてこのメロディに出会ってから、だいぶ後年になってからだった。
では、初めてこのメロディに出会ってから、正式タイトルが「ケサラ」であることを知るまで、この曲を私は何と思っていたかというと。
初めてこのメロディを耳にしたのは、前述の通り、中学生ぐらいの時に何気にラジオを聞いていた時。
BGM代わりに聴いていたラジオから、このメロディが聞こえたのだが、初めてこの曲を耳にして、「なんて良い曲だろう、なんて最高のメロディだろう」と、一発でとりこになってしまった。
だが!
その「初めて聴いた時」のこのメロディのバージョンが問題だった。
それがその後、長く私に誤解を与え続けることになった。
では、そのバージョンがどんなバージョンだったかというと、大勢の人(特に女性)が合唱してるバージョンで、しかもサビの歌詞が「ケサラ」ではなかった。
もちろん、日本語でのカバーでもなかった。
私が聴いたバージョンは、英語で、サビが・・
♪ Shake a hand Shake a hand Shake a hand
と歌われていたのだ。もちろん「ケサラ」では
♪ ケサラ~ ケサラ~ ケサラ~~
とサビで歌われる個所である。
初めて聴いて、心をわしづかみにされたこのメロディは、私にとって「ケサラ」ではなく「Shake a hand」でインプットされてしまったのだ。
サビでこれほど「Shake a hand」というフレーズを何度も繰り返すのだから、タイトルはてっきり「Shake a hand」だと思ってしまった。
握手の歌で、きっと世界中の人が握手することで仲良くしよう・・という主旨の歌かと思ってしまった。
それ以来。
この曲にほれ込んでしまった私は、レコード店に行って探す時や、友人にこの曲をことを聞く時、いつも「Shake a hand」というタイトルの曲・・・ということで探したり、聞いたりしていた。
だが・・本来のタイトルは、全く別の曲である。そう「ケサラ」なのだから。
だから「Shake a hand」で探しても・・・見つかるはずもなかった。
そういう状態がず~~~っと続き、いつしか私はこの歌を突き止めるのを諦めてしまうようになった。
しかも・・・「Shake a hand」は、初めてこの曲をラジオで聴いた時期に1回か2回か耳にしたきりだった。
それ以来、耳にしたことがなかった。
なので・・・いつしか。
「Shake a hand」という曲は実は存在しなくて、私の夢の中か何かに出てきた幻の曲だったのではないか、ラジオで聴いたように思ったのは勘違いだったのかもしれない・・・と思うようになっていった。
最初に1~2回聴いただけで、それ以来聴いたことがない、しかもレコード屋で探しても、周りの友人たちに聴いても誰も知らないのでは・・。
だとすれば、このメロディラインは、私が浮かんだメロディで、それがラジオで「Shake a hand」というタイトルで流される夢を見たのではないか・・・と思うようになった。
ラジオで聴いた時の記憶は、時の経過と共にどんどんおぼろげになっていってたし。
まあ、今から考えれば、ずいぶん虫のいい考え方ではあるけど。
ともあれ、あまりに「Shake a hand」が見つからなかったから、私はそのメロディをそういう風に誤解して捉えるようになっていったのだった。
だからこそ、自分で何か良い曲を作ろう、いいメロディの曲を作ろうとすると、あのメロディが無意識のうちにまるで自分で作ったかのように出てきてしまっていたのだ・・。
まったく、なんという傲慢。なんと都合のいい誤解。
で、時間が過ぎ。
ある日、テレビで、聴き覚えのあるメロディが流れてきた。
あ・・・
あのメロディだ・・
ということは、やはりこのメロディは、現実世界に存在しているメロディだった。
やはりね。どうりで良すぎると思った。
こんな魅力的なメロディを私が浮かんだはずがないではないか。もし私が浮かんだんだったら、今頃世界的なソングライターになってたはずではないか(笑)。
そう思い聴き続けて、サビで「Shake a hand」を一緒に歌おうとした。
だが、サビで「Shake a hand」とは歌っていない。「ケサラ」と歌っている。
あれ??メロディは一緒なのに、歌詞が・・・違う。どちらが本物?
と思い、「ケサラ」で調べたら、さすが世界のスタンダードソング、すぐに答がわかった。
「ケサラ」がオリジナルなのだった。
だとしたら・・・
中学あたりの頃にラジオで私が聴いた「Shake a hand」は一体なんだったのだ?
きっと・・
英語での替え歌か何かだったのかもしれない。
私の場合、オリジナルよりも先に、その替え歌の方を先に聴いてしまった・・というのが誤解のもとだったのだね。
しかも、そのメロディは、私の根幹をゆさぶるようなメロディで、良いメロディの究極とも思えるほど、私の心の奥底に染み込んだものだったから、強烈に誤解が膨らんでいってしまったというわけだ。
自分が作ったかのように錯覚していたのが、あまりにおこがましくもあり、恥ずかしくもあり。なので、そのことを私はこれまでリアルの世界で誰かに言ったことはない。
というか、言わないでよかった・・・。
ただ・・良いメロディの究極形として私の根幹に染み込んだ事実は今も変わらず、今でも何かメロディの良い曲を作りたいと思うと、「Shake a hand」ならぬ「ケサラ」のようなメロディが無意識のうちに出てきてしまうことがある。
もちろん、今では気付いた時点でボツにしているけれど。
「Shake a hand」。いや、「ケサラ」。
世の中には、魅力的なメロディを作るソングライターは多いけど、そのどの名曲にも負けない、私にとって究極の魅力的なメロディライン。
この旋律から受けた影響は・・・計りしれない。
こんな曲を1曲でも作れたら、思い残すことは・・・ない。
そうそう・・・私が聴いたことのある、幻の「Shake a hand」、ご存知の方・・・いらっしゃいますか?
「ケサラ」と全く同じメロディラインで、サビの部分で「Shake a hand Shake a hand Shake a hand」と歌われるバージョンです。
https://www.youtube.com/watch?v=ymSnmuXMKd4
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