たまに、大学時代に私が所属していた音楽サークルの仲間が集まるOB会が開催される。
私の居た音楽サークルは、他のサークルの人たちからは飲兵衛サークル扱いされていたくらいだから、OB会と言えば飲み会になる。
もっとも、飲兵衛サークルとは言っても、本当に飲兵衛が揃ってたのは、私の学年と1学年下の世代。この2学年は本当に酒飲み学生が揃っていた。
飲み会では、けっこう騒いでいたと思う。
おかげで、他のサークルの人たちからは、私のいた音楽サークルの飲み会は、少し恐れられていた・・というか、敬遠されていたかもしれない。
「だんぞうさんのサークルの飲み会、今日はどこでやるんですか?」
「まだ決まってないけど、なんでそんなこと聞くの?」
「いやあ、だんぞうさんのサークルの飲み会と僕らのサークルの飲み会の店がかちあわないようにしたくて・・」
こんなやりとりは、正直何度もあったぐらいだ(笑)。
で、そんな私のいたサークルは、強いてあげれば私より2学年下の世代までは、そこそこ酒飲みはいたかな。だが、2学年下の世代になると女子部員も増えてきて、3学年下の世代では部員は女子部員ばかりになっていた。
だから3学年下の世代は、もう酒飲みサークルのイメージはあまりなかったとは思う。
とはいえ、OB会では私の同学年や1学年下の世代も参加するので、OB会はどうしても飲み会になる。
で、飲み会が開かれる場所なのだが、以前は私たちの通ってた大学のあった街が選ばれるのが通常だった。
皆、卒業してからは母校のあった街に行く機会はほとんどなくなっている。
母校のあった街はまさに学生街であり、在学時には馴染みの飲み屋がひしめいていた。
行けば懐かしさを感じるし、当時の記憶が蘇ってくる。
私等が通っていた頃とは街の様子はそれなりに変わってしまってはいても。
ただ、その街で集まると、つい帰宅のことも考えてしまうようになってきている。
母校のあった街に行って飲むと、ほとんどのメンバーが帰宅がめんどくさくなる。
アクセス的に。
乗り換えが多くなるからだ。
なので、最近はOB会が開かれるのは、母校のあった学生街ではなくなってきている。
山手線の主要駅の近くの店で開催されることが増えてきた。
OB会が行われるのが久々だったりすると、当然前回の飲み会からは年月が経過している。
なので、最新の飲み会では、学生時代の色々な知り合いの人たちの近況も告げられる。
わかっている範囲で。
すると、中には衝撃的な原状を知らされることもある。
亡くなっていたり、行方不明になってたり、中にはOB会に参加するのを嫌がってる人の存在も知らされるし、驚くなかれ、生きてはいるものの、もう意識がない人のことも知らされることになったりもする。
そういうことを知らされるのは、衝撃だし、ショックだ。
そんなことがあると、何やら新たなOB会に出るのが少し不安になる。
つくづく健康寿命というものを考えさせられる。
あれほど、他のサークルに飲み会が敬遠されていた酒飲みサークルも、こんな未来が来る場合がある・・ということだよなあ。
しんみり・・・。
中にはとても広い、まるで体育館みたいな広大なスペースに長テーブルがずらり並んだ店もあり、週末にはその全てが学生もしくは若いサラリーマン達で埋め尽くされてました。
今の若い子達は昔の大学生のように、あまり呑みには行かなくなったなんて話も聞きます。会社なんかでも若手を無理に飲み会に誘おうものならパワハラだアルハラだなんて言われてしまうそうで・・・なんだかな〜
私達の頃は、半ばと言うかもうほぼ強制的に連れて行かれ、先輩たちの武勇伝を聞かされたもんです。だから、週末が近づくといかに誘いをスルーするかに必死でした(笑)
私の知人が在籍していた某私大の落研は、周辺の飲み屋をほぼ出禁になってましたね。話を聞けば、そりゃ出禁にもなるわな〜って位にひどかったみたいです。笑ったのは友人達が店の人に「あんた達は人間じゃない!!」と言われた話なんですが、あまりにお下劣なので、お話しできません(笑)
まあ、よく行く店はある程度決まってましたが、それでもそんな店は何店もありました。
中には貧乏学生でも普通に飲める店はありましたが、それなりに賑やかな店でした。
そんな時はサークルのメンバーと多数連だっていくわかではなく、何人かの仲がよいメンバーで行ってました。
新宿の店では、あまり馬鹿騒ぎはしなかったです。
馬鹿騒ぎして飲んでたのは、やはり大学の近くの学生街の飲み屋でした。
社会人になったばかりの頃は、同僚との飲み会は当初はイヤじゃなかったです。
ただ、会社は家から遠かったので、帰宅のことを考えると、あまり深夜までは付き合えなかったです。
それにしても出禁になった店があったというのは、かなりなもんですね(笑)。
まあ、私のサークルにもそんな店はあったかも(笑)。