時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

忘れた頃の自然災害

2016年12月27日 | 日々の、あれこれ

四季の様を短い言葉で表現するなら・・

春・・・暖かい。

夏・・・暑い。

秋・・・涼しい。

冬・・・寒い。

 

・・・ということになるのだろう。

もっとも、春でも春先などにはまだ雪が降ることもあるし、夏でも冷夏ということもあるし、秋でも夏に匹敵するぐらい暑い時もあるし、冬でも暖かい日はある。

 

そういう例外の日もあるにせよ、大きく分けると、上記の表現が妥当なところだろう。

夏には酷暑の日があるし、冬には大雪で交通機関がマヒすることもあることを考えれば、生活する人間にとっては、春や秋が比較的過ごしやすい季節なのだろう。少なくても日本では。暑い夏と寒い冬の中間で。

 

それぞれの季節にはそれぞれ特徴はあるし、それゆえに自然環境からもたらされる災害も、それぞれの季節にある。

 

たとえば春には、雪崩が起きやすいようだし、個人的には花粉症がしんどい。

夏は酷暑で、中にはそれで倒れる人もいる。

夏から秋にかけては台風による災害がある。

冬は前述の通り大雪で交通機関がマヒすることもある。

 

自然災害には豪雨や氾濫や洪水、地震や津波、噴火、地滑りなどによる災害もあるが、それらは季節には関係なく、ある時はどんな季節でもありえる。

 

このようなことを書くと、どんな季節にも、自然災害の可能性は潜んでいることになる。

 

 

人間の知恵、文明の発展、世界情勢によって、ある程度防げるようになった自然災害もある(例えば干ばつなどによる不作は、輸入などで対応したり)が、逆に利便さの追求の影響で増えた自然災害もある。

 

そう考えると、結局は人間が自然災害にあう割合は、チャラのような気もする。

いくら科学力などが進化しても・・だ。

 

防いだり対応できるようになった自然災害があるからといって、自然災害を克服するなどということは、どだい無理なのであろう。きっと、未来も。

 

もしも、いつか・・科学力で自然災害を相当克服したような気になれる時代が来ても、きっとそれは人間の思いあがりでしかないような気はする。

そう、きっと未来においても。

今より科学などが発展した未来においても。

 

その未来が、科学力や、人の意識などが今より退化した未来であったなら、なおさら。

 

いかなる未来であっても、自然災害には・・・きっとかなわない。

そのことを人間は、絶えず肝に銘じておかねばならないと思う。

自然災害による被害があった時だけでなく。

 

災害による被害があったばかりの頃は意識しても、災害から時間がたってしまうと、人間は利便性や合理性や利益や予算などの面を優先しがちだから。


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