
幼い頃、コント55号が大人気だった。
コント55号は、萩本欽一さんと坂上二郎さんのお笑いコンビだった。
幼年だった私にとっては、コント55号は、順番的にクレイジーキャッツの次に好きになったお笑いスターだった。
ちなみに、コント55号の次に好きになったのが、ドリフターズであった。
順番的な流れでは、クレイジーキャッツ→コント55号→ドリフターズ。
こんな順番でそれぞれブレイクしていったと思う。で、そのブレイク順に、私も好きになっていった。
ピーク時、コント55号は、いくつもの番組を持っていたように思うが、その中で特に印象に残っているのが、「野球拳」だった。
正式には「野球拳」はコント55号のバラエティ番組の中の1コーナーにしかすぎなかったのだが、あまりにも野球拳が話題をさらったので、野球拳以外のその番組の内容は、私はまったく覚えていない。
ちなみに、このコーナーのあったバラエティ番組とは「裏番組をぶっ飛ばせ」というタイトルであった。
確かこの番組は日曜日の夜8時に放送されていた。
タイトルにある「裏番組」とは、裏で放送されていたNHK大河ドラマのことだろうと、私は勝手に思っていた。
その大河ドラマは「天と地と」であった。
確か、「天と地と」はかなりの視聴率を誇っていた。
横綱級の人気を誇った「天と地と」に、コント55号の「裏番組をぶっ飛ばせ」は敢然と挑戦しているように思えた。
当時の私は幼年だったせいもあり、あまり歴史には詳しくなく、興味もあまりなかった。なので大河は見ていなかった。
なんというか、重苦しいというか、硬い番組のように思え、どうも幼年だんぞうには大河は敷居が高かった。
そんな時間帯にあった「裏番組をぶっ飛ばせ」には大河の反動で私は飛びついたのだと思う。
で、特に「野球拳」。これにはドキドキするやらハラハラするやら。
「野球拳」という遊びは、よく知られているように、男と女がじゃんけんをし、負けたほうが1枚1枚服を脱いでいく遊びだ。
私はこの遊びは、てっきりこの番組のために考案された遊びだと思っていた。
「野球拳」という遊びが、お座敷などでも行われていた「既成の遊び」だと分かったのは、後になってから。
この「裏番組をぶっ飛ばせ」放送時は、野球拳はこの番組のために考案された遊びだと思ったから、なおさら熱中した。
この時代に、テレビの中で、女性が一枚一枚服を脱いでいくなんて、ある意味画期的だったと思う。
しかも、夜8時からという枠での放送で!
世間の親からは低俗番組と呼ばれていたのを覚えている。
だが、親たちが低俗番組と言えば言うほど、子供だった私はかえって熱中してしまった。
今思えば、当時活躍していた女優や女性タレントなどに野球拳をさせ、服を脱がせるなんて、よくもまあできたものだと思う。
幼年だった私に、お色気というもののドキドキ感を伝えたのが、この番組だったと思う。
こんなことテレビでやっていいのだろうか・・と思いながらも、楽しみで仕方なかった。
この番組を見るまで、私はお色気番組には無縁だった。
まあ、幼年だったのだから、仕方ないだろう。
そんなの見たら親に怒られそうな気もしたし。
色んなゲストが登場したが、私が特に印象に残っているのが、桑原幸子さんが出た時。
この時は、本当にドキドキした。
坂上二郎さんと桑原幸子さんがじゃんけんをしたのだが、幸子さんが勝つとガッカリし、二郎さんが勝つと大いに盛り上がった。
野球拳は、スタジオに見に来た(?)客が皆見ている中で行われたから、なおさら。
単なるじゃんけん遊びでしかないのに、負けた方が1枚1枚服を脱いでゆく・・という極めてシンプルな遊びなのに、異様に盛り上がっていたと思う。
あの時、幸子さんは一体何歳ぐらいだったのだろう。おそらく20代前半ぐらいだったのではないか。
だが、今イメージする20代前半よりも、当時の20代前半という年代はずいぶん大人びて感じたものだった。
まあ、私自身当時はまだ幼年だったので、余計にそう思えたのかもしれない。
その時の「野球拳」の勝敗がどうなったかは、もう覚えていない。
だが、スタジオ内に持ち込まれた、狭い試着室のような「着替えルーム」の中に幸子さんが入って、なにがしかを脱いでる時のドキドキ感は忘れられない。
ちなみに、幸子さんが着替えルームの中で脱いでる時、外にいる二郎さんは、客や視聴者を煽るような表情や仕草をしていた。これもまた強烈に印象に残っている。
二郎さんの素振りは、私のドキドキ感を大いに刺激していたと思う。
ところで、この「野球拳」という遊び。
一体どういういきさつで誕生した遊びだったのだろう。
この記事を書くのをきっかけに、ちょいと調べてみた。
元々は脱衣ゲームというわけでなかったようで、昼間に野球で試合をやった伊予鉄道の野球部と高商クラブの野球部が、夜の親睦会で「狐拳」と呼ばれる遊びで対戦したのが始まりらしい。
じゃんけんで負けた人がだんだん抜けていき、メンバーがゼロになったチームが負け・・というルールで。
狐拳というのは、じゃんけんと相通じる遊びではあっても、じゃんけんそのものというわけでないようだ。
ただ、じゃんけん同様に「三すくみ」の要素はあるようで、その要素が「野球拳」ではじゃんけんに繋がっていったのだろう。じゃんけんだとシンプルなので、やがて狐拳ではなく、じゃんけんで勝負を決するというルールに定まったそうだ。
その歌は、伊予鉄道野球部のマネージャーをやってた前田伍健さんという方が作ったらしい。
「野球拳」本来は三味線と太鼓による伴奏に合わせて踊り、じゃんけんで勝敗を決する遊戯だが、それがお座敷芸として広まるようになるにつれ、脱衣ゲームになっていったようだ。お座敷では芸者もつきものだし、お色気ゲームになっていったのは、なんとなく分かる気はする。
ただ、これが爆発的に広まったのは、やはりコント55号の「裏番組をぶっ飛ばせ」が大きかったようだ。
今巷で認識されている「野球拳」は、この番組のおかげである部分はかなり大きいと思われる。
私が「裏番組をぶっ飛ばせ」を見ていたのは幼年の頃だが、私自身「野球拳」で遊んだ記憶は1回しかない。
その1回というのも、決して「お座敷」などではなかった。
20代の頃によく通ってたパブで、であった。
ある年の大みそか、いつものようにその店に行ってみると大賑わい。
常連たちは皆、新年をその店で迎えようと思ってたのだ。
夜12時を過ぎ、新しい年になった頃、誰が言うともなく「野球拳」をやろうということになった。時間的には真夜中の時間帯だった。
もちろん、店には女性の常連さんも何人もいたからだ。男同士だけで野球拳などやるわけもないのだ(笑)。男だけの野球拳など・・見たくもないし、つまらない(笑)。
皆けっこう酔っ払っていて、男も女も乗り気になった。
そこで私は・・・店にあったギターを手にし、お馴染みの野球拳の歌を皆が合唱するのに合わせて、伴奏を始めた。
つまり・・その時の野球拳で、私は伴奏係という立場を確保したのだ。
この伴奏係の特権は、自分はじゃんけんに参加しなくてすむ点だった(笑)。
おかげでじゃんけんで負けるというリスクを負うことなく、ひたすら他の人たちがじゃんけんに負けて脱いだりしていくのを、横目で見ていられる・・・という、おいしい立場(笑)。
野球拳では、最初の頃は多少負け続けても大丈夫。
なぜなら、最初は右の靴下だったり、ジャケットだったりを脱ぐだけだから。
色んな衣服を身にまとっている人ほど、脱げるものがたくさんあるので有利。
手袋やサングラスや帽子やマスク、リストバンド(?)でもしていようものなら、当初は負けても全然こたえない。
いよいよ盛り上がるのは、上がシャツ、下がズボンやスカートだけになった時。それ以上負けると、下着の登場になる。
そして、さらに負けると・・・?!!
結局その時の野球拳でどこまで進んだのかは・・残念ながらよく覚えていない。
野球拳なら、起きていてもおかしくないのに(笑)。
というのは、ただでさえ酔っ払った状態で野球拳を始めたし、野球拳をやりながらも飲み続けていたので、野球拳が進むにつれますます酔いがまわっていったこと。
とりあえず、裸になるところまではいかなかったと思う。そのへん、その店の常連たちはジェントルだった。
もしも裸にまでなってしまったら、その人はその店にその後来づらくなってしまうかもしれないし、それを見ていた人も気まずくなってしまったかもしれない。
気まずくなって、それが理由で常連が来なくなるのは寂しい。
皆、その店が大好きだったし、「居場所」でもあった。
居場所を失いたくない・・という思いは、誰にもあったと思う。
だから、行きつくところまではいかなったと思う。
こう書くと「なーんだ、つまらない」とでも言われそうだが、少なくてもその過程は皆楽しめたので不満はなかった。大みそか~元旦の早朝までの特別な時間帯が大いに盛り上がったのは確かだったから。
店としても、野球拳で誰かが裸になっている時に、見知らぬ客が入ってきたら、口コミによってそれ以後のその店の評判にもかかわってしまう。「いかがわしい店」として。
その店は音楽系のパブであり、決してお色気系の店はなかったわけだから、「いかがわしい店」と思われたら、店のイメージは誤解を受けることになる。常連も、オーナーも、それは困るわけだから。そのへんは、皆よく分かっていた。
私自身が体験した「野球拳」の記憶は、それぐらいだ。
その野球拳をやっている時に、その場にいた皆がやっていた動きは、かつてコント55号が「裏番組をぶっ飛ばせ」の中の「野球拳」でやっていたジェスチャーとほぼ同じだった。
ということは、皆「野球拳」というと、「裏番組をぶっ飛ばせ」を思い出していたということだろう。
それほど、「裏番組をぶっ飛ばせ」の野球拳は、それを見ていた人に深く浸透していたのだ。
番組が終わって長い年月が過ぎ去っていても。
今でも私は・・「野球拳」と聞くと、幼少の頃に見ていた「裏番組をぶっ飛ばせ」を思い出す。
欽ちゃんや二郎さんの若かりし頃の元気な姿と共に。
あなたは・・野球拳の思い出はありますか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます