時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

卒業間際のサイン帳

2008年06月30日 | 懐かしい系、あれこれ

30年ぶりの同窓会や、解体前の母校の校舎見学会などのイベントが相次ぎ、私の頭の中では、中学の時の光景がまわっている。その中には、「サイン帳」なるものもでてきた。

小学校とか中学校を卒業する時、卒業式が近づいてくる頃に、クラスで「サイン帳」をまわしたりしなかっただろうか?

誰もが文房具屋でサイン帳を買い込み、それを級友(時には他のクラスの奴にも)にまわし、それぞれ自分に対するメッセージを書いてもらうのである。
これって、書いてるその時はあまり貴重さや有り難みは感じないのだが、卒業して年月がたつに連れ、段々貴重品のように思えてくるシロモノだ。

かといって、決して頻繁に見る訳ではない。
むしろ、普段はその存在を忘れている。
だが、何かの拍子に部屋の整理などをしてると、思いがけない所からこのサイン帳が出てくることがある。
で、ペラッとめくると、タイムスリップしたような気になる。


それぞれのページには、かつての級友だちのメッセージが描かれていて、それぞれの個性がある。

漫画を描くのが好きな子は、たいがいページにメッセージの他にイラストを描いている(ちなみに私は、そういうタイプだった)。
ドライであることを気取って(?)、一言しか書かないような、ぶっきらぼうな奴もいる。
泣けてしまうような暖かい言葉を書いてくれる子もいる(それはたいがい女の子だ)。
芸能人のような、かっこつけた(笑)崩し字のサインを書く奴もいて、そういう奴はメッセージもかっこつけてる場合が多い。

かと思えば、幼児のような可愛い字で、社交辞令系のメッセージを書く人もいる。
皆・・ぞれぞれの個性で溢れている。
皆、自分の特技や性格を何とか上手く表現しようとしている。
それは、卒業しても、いつまでも覚えていてほしいからこその、アピールなのだろう。


で、このサイン帳を見てると、面白いことに気づく。
それは・・・級友たちの見た自分の印象が書かれていることである。
自分で思っている自分のキャラクターと、他の人が見た自分のキャラクターの違いが、そこには記録されてるような感がある。

もちろん、自分自身で思ってる自分のイメージと、他人がみた自分のイメージが一致してることも多いのだが、たまにそうじゃないこともあって、そのへんが非常に面白い。

中には「へ~、あの子、僕のことをそんな目で見ててくれたんだ・・」なんて思うと、ジーンとしてしまったりもする。
かと思うと、「こいつ、僕のこと、あまり好いててくれなかったな」なんて思うこともあり(笑)。
あるいは「へ~、僕って、こんな奴だったのか」とか。

他人が見た自分。自分で思い込んでる自分。微妙に違うことって、あるよね。
それは、大人になって社会人になっても言えること。
だが、大人になると、こういう「サイン帳」を書き合うことなんて・・ない。
だからこそ、何人もの他人が見た自分のイメージを文章で書いてくれたこうしたサイン帳は、貴重なのかも。


小学校の頃の私のサイン帳を見ると、私のイメージは
「将来有望な漫画家(実際には挫折した・・)」とか「歌舞伎俳優になったら、私を招待して」とか・・そういうのが多い。
小学校の級友は、私の将来は「漫画家」か「役者」のイメージが大半だったようだ。

漫画家は目指していたのだが、しっかり挫折しちゃった(笑)。
役者ってのは、目指したことは一度も無い。なんでそんなイメージを持たれていたのだろう・・。
もしかして、国語の時間に朗読するのが好きだったからかもしれない。けっこう感情こめて朗読してた気がするからね。
先生に指されることも多かったが、自分で手をあげることもあったように思う。
そのせいかもしれない。決して、容姿のせいではない・・ということだけは自分で分かっているつもりだ。
特別、容姿がよかったとは思ってないし。そのへん、誤解なきよう(笑)。

勉強自体は嫌いだったので、あまりやらなかった(笑)。
授業中は、よく漫画を描いていたし。授業中にダジャレを言って授業の邪魔をしたことも多かった・・ような気がする。


あと、「もっと真面目にやれ!(←ごもっとも!)」と苦言を書いてくる子もいるかと思うと、
「ボクのようにかっこよくなれ!(←大きなお世話だ~)」と自意識過剰なことを書くヤツもいた。

また、「人気ナンバーワンよね(←実際には、そんなことはなかったけどなあ・・)」
「面白い奴だ(←どういう意味じゃ??)」
・・とか、恐縮したり恥ずかしくなるようなお世辞(?)を書いてくれる人もいた。

ともあれ、そういうイメージの複合が私だったようだ。全体的には、やはり漫画や役者(演劇)のイメージが強かったようだ。


これが中学のサイン帳になると
「だんぞうの上手い縦笛を、いつまでも聴きたい」
「ビートルズが好きですね~」
「旅には、あの子を連れてこい」
「お前は将来、役者だな」
「だんぞう君に貰ったイラスト、宝物です。これからも絵を描き続けてね」

・・こんな感じで、絵や役者の他に音楽という要素が目立つようになっている。異性に対するコメントもポツポツ。

かと思うと
「お前なんか、ちっとも面白くねえぞ!」
「お前はビートルズを忘れたのか?あれもこれもと言わず、浮気するな」
「髪の毛を切って、森田(健作)のように、もっとサッパリしろ!」

みたいな辛口なメッセージもあるし、まあ、遠慮のないメッセージだからこそ、楽しい。


他人が見た自分のイメージというのは、案外自分では気づかなかったりする。
世の中には自分は一人しかいないのだからして、世間一般的な自分のイメージは「他人が見たイメージ」のほうが正しい・・というか、一般的なのもしれない。
その意味では、自分のことを一番分からないのは実は自分自身である・・と言えそうだ。

そう、人間、一番自分のことを分かっていないのは、他ならぬ自分自身なのかもしれない。だからこそ、他人の自分に対する評価やイメージが面白かったのかもしれない。


さて、貴方が小中学校の卒業間際に、貴方のサイン帳にクラスメートが書いた「貴方の人物像」や「貴方の印象やイメージ」はいかに?

自慢したくなるような「イメージ」もあるだろうし、当時と今ではだいぶイメージが違ってるかもしれないけど、ただひとつ言えるのは、「それも自分だった」ということ。



で、色んな自分がいたからこそ、良くも悪くも「今の自分」があるのです。


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