子供の頃も、そして大人になっても、休日の朝は嬉しい。
休日の朝の良さってのは、何もその日に予定が入っていない場合、朝ゆっくり寝てられることが大きい。
これだけでも、特別な感じがした。
小学校の頃は、学校がある日は毎朝だいたい7時過ぎくらいに起きていた・・と思う。
小学校の頃の休日は何時くらいまで寝ていたかはもう詳しくは忘れてしまったが、朝9時くらい・・・だったように思う。
それが、中学、高校となるにつれ、休日の朝起きる時間はだんだん遅くなっていったと思う。
大学の頃なんて、その日の授業のスケジュールによっては平気で昼まで寝ていた。
それを考えると、小学校時代の休日の朝9時起きなんてのはまだ可愛いほうかもしれない(笑)。
だが、朝9時くらいまで寝ていた小学校時代の私の休日だったが、ある時を境に、平日と同じくらいの時間に起きるようになった時期があった。
平日、学校に行く時、休日のことを思うことがあった。それは・・もしも休日の朝、平日と同じぐらいの時間に起きれば、休日をより長く堪能できるのではないかということだった。
とはいえ、そうは思っても、いざ休日になると朝いつもよりゆっくり寝てられる魅力は大きく、せっかくの休日に早起きする気にはならなかった。
だが、休日に平日と同じぐらい早く起きて、その分休日を長時間楽しむ・・ということは、いつか実行してみたいと思ってはいた。
そこで・・ある日、ものは試しとばかり、思い切って休日に早く起きてみた。朝ごはんの時間までは、まだかなり時間があったことを利用し、私は1人で外に出て遊ぶことにした。
休日のこんな早い時間、級友だってまだ起きていないだろうし、仮に起きてたとしても、朝一番で遊びに誘っても誰も応じないはず。
なので、1人でどうしたかというと、私は迷わず公園に向かった。
朝早いので、公園には誰もいない。まるで私の貸し切り状態のようにも思えた。
1人だったので、友の都合に合わせる心配もない。
非常に気楽だし、解放感があった。
しかも、さわやかな朝日を浴びると、解放感は更に増した。気楽さは、高揚感にもつながった。
その解放感で、公園を独り占めしたような気分で、ブランコも滑り台も独占。
最高の気分だった。
まだ皆寝てるんだろう。人が寝てる間に遊んでる・・・というのが、ちょっとした優越感みたいな感覚にもなった。
1人で遊ぶことの気楽さを実感した。その感覚は、その後の私の心の中に幼少体験として深く刻まれたと思う。
で、遊んでるとお腹もすいてくる。朝ごはんが出来る時間あたりに帰宅すると、朝飯がうまい、うまい。
お腹はすいていたし、心の充実感もあったので、朝ごはんは格別だった。
朝ごはんを食べてからは、いつもの通常の休日として過ごした。
いつもの休日と違うのは、朝ごはん前に「遊び」の時間が加わったことで、いつもよりも休日をたっぷり過ごせた気分になった。人よりも休日の時間が長くなり、なんだか得した気になった。
そういう休日の過ごし方は、どれぐらい続いただろう。
しばらく期間があったと思う。
やがて・・・その過ごし方がパターン化してくるようになると、当たり前のことになってしまい、特別な過ごし方という感覚は薄れてきた。
人がまだ寝ていたり、朝ごはんの準備をしてる時間帯で、貸し切り状態で1人で独占して遊ぶ公園というものが最初は新鮮だったものの、だんだんそれが当たり前になってきてしまった。
そうなると、面白味も薄れてきた。
で、・・いつしか、用もないのに休日に朝早く起きるのがおっくうになってきた。
そして、休日に朝ゆっくり寝てられるということは、休日の前日の夜、いつもより遅くまで起きてテレビなどをみていられるメリットを改めて感じるようになり。
休日の朝早く起きて、早起きした時間を「遊び」で使うか、それとも休日の前日の夜を「テレビ」などで使うか・・の選択肢になり。
いつしか、休日の朝はいつもよりゆっくり寝ている・・という休日の使い方に戻っていったのだった。
ただ、休日の朝、平日と同じか、むしろ平日よりもやや早く起きて、1人で公園で遊ぶ解放感と気楽さは、私に1人遊びの気楽さと楽しさを、改めて教えてくれた気はしている。
若者になって、大人になって、映画を見たり、楽器屋めぐりしたり、本屋めぐりしたり、その他・・・友人を誘わずに1人で行くことが多かったり、1人でいることが気にならなかったり、むしろ1人の方が気楽だと思えたのは、「休日の朝早く起きて、1人で公園で遊んでた」という幼少の体験が少なからず影響している気はしている。
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