秋が深まると、道路は落ち葉でいっぱいになる。
春先には、桜が散ると、道路は散った桜でいっぱいになる。
私は、秋の落ち葉絨毯の道は好き。
落ち葉の絨毯の道を歩くと、足がふわふわする。
たとえ道路がコンクリートの道であっても、落ち葉絨毯は足に優しい。
踏んだ時に聴こえるサクッとした感触や音も好き。
これはこれで風情があると、ずっと思ってきた。
だが
最近、落ち葉の道を見ると、別のことも思うようになった。
道路の落ち葉は、気づけばいつの間にかなくなっているものだ。
それは・・誰かが、道路に落ちた落ち葉を掃除しているからだ。
落ち葉の量は、相当なものである。
それを掃除するとなると、これはかなり大変なはず。
一度ホウキとチリトリを持って掃除しても、とても一度で掃除しきれるとも思えない。
特に家の前の道路を掃除する場合は。
あっという間にチリトリはいっぱいになってしまうだろう。
すると、チリトリにたまった落ち葉を何度もゴミ袋などにいれないといけないはず。
そして、一度ゴミ袋に落ち葉を入れて、空になったチリトリで再度落ち葉を掃除することになる。
こんなことを考えると、正直、風流に見えてきた落ち葉のイメージが台無しだが、現実にはそういう事実もあるはずなんだよね(笑)。
特に、近くに大きな木が何本も立ってたりすると、その家は、落ち葉の処理にけっこう苦労してるんじゃないかな。
昔は風流に見えてただけだった落ち葉の絨毯道。
だが、道路に散乱していた落ち葉が、ある日いきなりなくなっているのを見ると・・・そんなことを考えてしまうようにもなった。
これが山なら、落ち葉はそのまま山の養分になるのだろう。
だからそのままでもいいのだろう。
だが、都心はそうもいかない。
どうにも都会は、手間がかかる奴なのだ。
便利な場所ではあるはずなのだが、手間はかかる・・・なんだか、そう表現すると、矛盾するようにも思える(笑)。
なにが便利で、何が楽なのか・・・。
いいのか、悪いのか・・・。
う~む・・。