時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

大阪万博にあった未来

2017年04月25日 | 懐かしい系、あれこれ

1970年の大阪万博というイベントは、つくづく大きなイベントだったんだなあ・・と、今更のように思うことがある。

今でも語り草になっているイベントだ。

その証拠に、今でも、コミックやドラマに重要な要素として出てくることがある。

当時は、後になってこんなに記憶され続けるイベントになるとは私は思っていなかった。

 

最近では、NHKの朝の連ドラ「べっぴんさん」では、当時の実際の映像がたくさん流れたし、ちょっと前のコミック「20世紀少年」では、物語上の重要な要素とし登場してきていた。

 

当時私の学校でも、大阪万博はかなり話題になっていた。

実は私は、亡き父に大阪万博に連れていったもらった。父は、そういうイベントが大好きな性分だったようだ。

 

かなりわくわくして連れていってもらったはずなのだが、いかんせん子供の頃なので、覚えていることは少ないし、覚えている記憶にしても、けっこう断片的だ。

そう、断片的ではあるのだが、少しは思い出せることはある。

 

まず、気候。ともかく暑かった。

そして混んでいた。

会場内には、多数のパビリオンがあったが、確か一番話題を集めていたのはアメリカ館だったと思う。

というのは、アメリカ館には、超目玉ともいうべき展示物があったからだ。

その超目玉は、「月の石」だった。

アポロが月面着陸し、月から持って帰ってきた石だった。

当時、人類が初めて地球以外の惑星に着陸したのは、世界的に大きな話題になったものだ。

アポロ計画以後、次々に人類は月に行くことになるのかと思ってたら、実際にはアポロ計画終了と共に、人類は月に行っていない。

そう考えると、アポロ計画の時代に人類が月に着陸したことは、今でも貴重な出来事だったことになる。

アポロ計画の時代に開催された大阪万博の時代においては、なおさらだ。

 

私もアメリカ館に行きたかった。だが、あまりの混雑ぶりで、入館できるまで炎天下の中で何時間も待たされそうな気がした。

なので、泣く泣くあきらめた覚えがある。

隣にいた父とて同じ気持ちであったろう。

 

 

あきらめはしたものの、どうにもあきらめきれない気持ちもあって、せめてアメリカ館に匹敵するパビリオンには入りたいと思った。せっかく大阪万博に来たのだから。

アメリカ館ほどには混んでなくて、なおかつアメリカ館に匹敵するパビリオン・・それはソ連館に思えた。

 

なんてったって、アメリカとソ連は・・今でもそうかもしれないが・・・宇宙開発をリードしていた2大大国だった。

なので、アメリカ館に入れないなら、せめてソ連館に入っておきたいと思った。

 

はっきり言って、ソ連館も人気はあったと思う。

入館するのに、それなりに待たされた気がする。とはいえ、さすがにアメリカ館程ではなかった。だから、並んだのだろう。

そう、炎天下の中を。

 

あまりに暑いので、並んでいる途中で、赤城しぐれという氷菓子を食べた覚えがある。

 

ソ連館は、特徴のある外観の建物だったのが印象的だった。

 

ともかく、入館したのは覚えているが、はっきり言って中身は覚えていない。

覚えているには、子供すぎたのかもしれない。

 

 

ソ連館以外にも何館かのパビリオンには入ったはず、なのだが、そのへんもよく覚えていない。

フジパンのパビリオンには入ったような気がするが・・。

 

シンボルの「太陽の塔」はおぼろげに覚えている。

 

だが、大阪万博の会場で覚えているのは、それぐらいだ。

私の記憶の断片をまとめると、以下の通り。

 

1、ともかく暑かった。

2、混雑していた。

3、ソ連館には入った。

4、ソ連館に入るために並んでる最中に、氷菓子を食べた。

5、太陽の塔。

 

その後「伝説的イベント」として語りつがれている大阪万博であることを考えると、もう少し覚えている記憶が多いといいのに・・・などと思ってしまうが、子供時代の記憶であることを考えると仕方ないかもしれない。

これが高校時代とか、大学時代であれば、もっと覚えていたかもしれないのに。

 

だが、とりあえず、あのイベントに「行った」という事実だけは、貴重なのかもしれない。

 

 

ちなみに、大阪万博に関する記憶としては、もうひとつある。

それは、大阪万博そのものの記憶ではなく、大阪万博に行った時に泊った宿に関する記憶だ。

 

当時、衝撃的なコミックが話題になっていた。

掲載されたコミック誌は、少年マガジンだった。

少年マガジンに掲載された某コミックが残虐とされ、その作品が掲載された少年マガジンは、発売禁止になったんじゃなかったかな・・。

 

で、掲載誌を発売禁止に追い込んだ、衝撃のコミックとは・・

 

ジョージ秋山先生の「アシュラ」という作品だった。

 

私は、その話題性ゆえ、本誌が発売禁止になる前に、本屋で運よく入手していた・・のだと思う。

というのは、大阪万博に行った時に泊った宿の部屋で、その少年マガジンを手に取り、「アシュラ」を読んだ記憶があるからだ。

「これが、あのアシュラか・・・」と思い、ドキドキしながら読んだ覚えがある。

作品は連載モノだったので、私が読んだのは、作品の冒頭部だったと思う。

 

ともかく、読んではいけないコミックを読んでしまったような気分になったのを覚えている。

 

万博に行った時に泊った宿の部屋で読んだものだから、私にとっては「アシュラ」もまた大阪万博の記憶の一つになっている。

 

 

大阪万博以後も、同じようなイベントは日本で何度か開催されている。

それなりに話題になったイベントもあった。

 

だが・・大阪万博を超える盛り上がりには至っていない印象がある。

やはり、大阪万博は、特別なものだった・・と言うしかない。

なぜ、あんなに盛り上がったのだろう。

 

それが・・実際に大阪万博そのものや、それを取りあげたマスコミ、そして国民の盛り上がりぶりをかすかに覚えている私の正直な印象ではある。

 

そう、やはり特別なイベントだったのだと思える。

だからこそ、その後・・今に至るまで、コミックやドラマで取りあげられてきているのであろう。

 

ある意味、よく言われる「戦後の日本の高度経済成長」の一つの象徴だったのかもしれない。

 

大阪万博には、近未来の日本の可能性も展示されていた気がするが、ここではスマップの歌の一節を引用しておきたい。

 

「あの頃の未来に 僕らは立っているのかな?」。

 

 

 


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