ロマンチックな夜の幕が開く
少し、肌寒かったけど
おわらの流し唄を聞いて
コンクールとまた違った味でした。
ストリート仕様の「生きた唄」でした。
マイクが無い分、
伝えようとする一人一人の個性が唄にでていたように思えます。
自分に合う色、自分の色を見つけたくなりました。
そして「四季の踊り」と呼ばれる現在のおわらの踊り(新踊り)の誕生が、
金沢のひがし茶屋街(金沢市東山)と結びついていたことを、
このイベントで初めて知りました。
(金沢市観光協会公式サイトより)
「越中八尾おわら踊り」。
中でも「女踊り(四季の踊り)」のルーツは金沢・ひがしの茶屋にあるという。
80余年前、四高(現金沢大学)医学生だった八尾出身の川崎順二氏は、
度々ひがしの茶屋を訪れ、芸妓たちの艶やかな舞いとお酒に酔いしれていた。
ひがしの踊りの流派は若柳流であることから、昭和4年、川崎氏の伝(つて)で、
若柳吉三郎を紹介。若柳氏は、40日間にわたる八尾滞在で
「女踊り(四季の踊り)」の振付を完成させたのである。
また、ひがしの芸妓も金沢から駆け付け、八尾の人々に熱心に振付を指導したという。
女踊りのたおやかで上品な身のこなしは、
まさに、ひがしの茶屋を源流とするものなのです。
少し、肌寒かったけど
おわらの流し唄を聞いて
コンクールとまた違った味でした。
ストリート仕様の「生きた唄」でした。
マイクが無い分、
伝えようとする一人一人の個性が唄にでていたように思えます。
自分に合う色、自分の色を見つけたくなりました。
そして「四季の踊り」と呼ばれる現在のおわらの踊り(新踊り)の誕生が、
金沢のひがし茶屋街(金沢市東山)と結びついていたことを、
このイベントで初めて知りました。
(金沢市観光協会公式サイトより)
「越中八尾おわら踊り」。
中でも「女踊り(四季の踊り)」のルーツは金沢・ひがしの茶屋にあるという。
80余年前、四高(現金沢大学)医学生だった八尾出身の川崎順二氏は、
度々ひがしの茶屋を訪れ、芸妓たちの艶やかな舞いとお酒に酔いしれていた。
ひがしの踊りの流派は若柳流であることから、昭和4年、川崎氏の伝(つて)で、
若柳吉三郎を紹介。若柳氏は、40日間にわたる八尾滞在で
「女踊り(四季の踊り)」の振付を完成させたのである。
また、ひがしの芸妓も金沢から駆け付け、八尾の人々に熱心に振付を指導したという。
女踊りのたおやかで上品な身のこなしは、
まさに、ひがしの茶屋を源流とするものなのです。