前回の続きです。
「24号壕」の前って、
ちょっとした草原みたいに視界が開けるんです。
ポッカリとした空間で、
空も広く感じる場所でした。
現在では「鎮魂の広場」と呼ばれているそうで、
遊歩道や記念碑類なんかも建てられています。
「飯上げの道」や内部公開されている「20号壕」を訪れた方は、
必ず見た場所通った場所だと思います。
「24号壕」の入口が小さく写っているのが、
皆さんにはお分かりになるでしょうか?
これもいつ撮影したか覚えておりません。
1990年代は上記の画像の通り、
緩やかな傾斜地に
腰ぐらいまで伸びきった草ボーボーっていうような、
ホントに何もない場所でした。
沖縄戦当時はここに三角兵舎か、
あるいはテントかが複数建てられて、
そこで「ひめゆり」は卒業式を行ったそうです。
三月下旬の夜、
米軍が上陸する前のお話です。
できるだけ分かりやすいように、
現在はどんな風になっているかについて、
ちょっとした解説で追加してみました。
これで大体の位置関係が把握できると思います。
いやぁ~
しかしまぁ…
ずいぶん変わってしまったものですねぇ…
劇的っていう言葉が、
正に似合うって感じに変わってしまいました。
遊歩道も舗装されて歩きやすくなったでしょう。
案内板も丁寧に設置されていて、
初めての方も迷うことなんてありませんね。
記念碑類もいつの間にか建てられていました。
この中で特に変わったのは、
やっぱり内部公開された「20号壕」でしょうか。
一般公開は2007年からですが、
発掘調査を始める前の1990年代は、
まだ森の中に埋没している感じです。
現在は埋没した壕も含めて、
ほとんどに「○○号壕」っていう案内がされているのですが、
その当時は全くありません。
自分も「20号壕」かどうか、
今では記憶が曖昧で確実なことは言えませんが、
壕跡のようなものを複数見た気がします。
ま、発掘しにいっていたわけではありませんから…
でも2000年代初頭かな?
フィールドワークか平和学習か、
はたまた発掘調査かわかりませんが、
その人たちが何かをしていたのを、
遠巻きで眺めていた記憶もあるんですよね。
なお、
「19号壕」については撮影していたはずなのですが、
なぜか紛失してしまいました。
非常に残念です。
野球場が近くにあった記憶があるのですが、
なんか、「24号壕」と「19号壕」の記憶がごっちゃになってしまい、
ちょっと思い出せません。
「24号壕」のように画像がちゃんと残っていれば、
それなりに思い出すことができるのですが…
ホント、勿体ないです。
次回以降に続きます。