「ひめゆり」戦跡としては、
知名度が圧倒的に低い場所ではないでしょうか。
とにもかくにも、
見つけるのに苦労した場所でした。
「糸洲」というからには、
糸洲地区のどこかにあるというくらいの、
何とも貧相な予備知識しか持っていませんでしたから、
「もう、糸洲全域を歩くしかないな…」
というような覚悟だった記憶がございます。
もっとも、
集落自体はそんなに広いというわけではなく、
地元の人に聞いたり、
何回か足を運んでいれば、
「いつかは見つかるだろうな…」
といったような楽観もありましたがね。
というわけで、
今回は糸満市糸洲にある「第二外科壕跡」でございます。
「轟の壕」にレンタカーを止めてから、
国道331号線のバイパスを歩いて、
どこにあるかわからない「第二外科壕」跡を目指し、
地図帳を広げていたのを思い出すと、
懐かしさがよみがえります。
知名度が低い戦跡って、
ホント、探すのが難しいんです。
現在ではインターネット、
特にグーグルマップがありますから、
一発検索で迷うことなんかありません。
でも1990年代はそんなものはなく、
書籍やガイドブックで地図で示されていても、
グーグルマップのような詳細なものではありません。
もっぱら現地へ赴いて地図帳で確かめながらの、
ちょっとした手探り状態でした。
ま、自分にとってはそれが当たり前でしたので、
面倒だとか嫌気がさしたことなんかなかったですけどね。
だから糸洲の集落に入ってからは、
それこそグルグル歩き回ってはキョロキョロと、
地図を見ながら糸洲の集落を出ないようにと、
一人で黙々と探し回っておりました。
今になって改めて考えてみると、
何だか不審者みたいなことをしていたかもしれませんね。
特に地元の人からすれば、
見慣れない者がウロウロしているのですから、
警察に通報されてもおかしくなかったのかも…
しかしですね、
どういうわけか地元の人と全く出会わなかったんですよね。
畑が多い糸洲ですが住宅地もありましたし、
地元の人ならば、
絶対に「第二外科壕」のことは知っているはずですから、
誰かいれば率先して尋ねようと思ったのですが、
畑で農作業をしている人もいなかったです。
お店やコンビニもなかったから、
買い物ついでに聞くこともできませんでした。
糸洲は観光客がごった返すこともないような、
のどかな風景でもある場所でしたね。
自分は嫌いじゃないです、そんな雰囲気。
かといってわざわざ家の玄関口までいって、
話を聞こうとは思いませんでしたから、
結局1時間以上ブラブラしていました。
まぁ…タイミングの問題だったのでしょうね、
地元の人に出会わなかったのは…
自分としては予想以上に手間がかかったという点で、
糸洲に対する印象が残っているんですよね。
そうこうするうちに、
やっと見つけることができました。
いやぁ~よかったよかった!
同じ場所を歩き回っていましたから、
さすがに疲れたというか、
ちょっとした倦怠感もありましたね。
景色が変わり映えしないと、
正直、飽きてくる瞬間もあるんです。
それに今日は見つからないんじゃないか、
といったちょっとした不安もありましたから、
まずはホッと一安心。
沖縄に住んでいたわけではありませんので、
ある程度のスケジュールも考えないといけませんから。
知名度が低いと書きましたが、
上記の画像をよく見ると、
お花とかオリオンビールとか、
お供え物があるのがわかります。
どなたかが慰霊なさっていたのですね。
また、画像のように記念碑はあったのですが、
土砂崩れか何かで入口は埋没していました。
上記の画像は埋没した入口の隙間を撮影したものです。
もう完全に中へは入れない状態ですね。
次回以降に続きます。