前回の続きです。
まずは引用から。
(中略)
一坑しかない壕は長さが約三十メートルほど。壕は通り抜けになっていて、奥出口側には、樹木で空を覆い隠したような小さな広場があり、そこは比較的軽傷の独歩患者が使用していました。
別掲 『白梅 沖縄県立第二高等女学校看護隊の記録』
L字型の地点まで進むと奥の出口がハッキリと見えました。
上記の画像はその出口ということになります。
これは初めて行った時のもので、
90年代後半の頃ですね。
一枚の画像だと、
どの程度の大きさかちょっとわかりませんので、
比較対象用にもう一枚の画像を添付します。
これは2000年代に栃木の友人と訪れた時のものですね。
普通に立って歩けるぐらいの大きさであることが、
これでわかると思います。
「樹木で空を覆い隠したような小さな広場」と、
引用文ではこのように書かれておりますが、
その表現に間違いはございません。
上を見上げると上記の画像のようになっていて、
昼間でも少々薄暗い場所でありました。
撮影した時もフラッシュ必須でしたね。
それにしても…
このポッカリとひらけた空間…
鬱蒼とした樹木と見上げなければならないような、
登ることすら難しそうな断崖によって、
時間とともに変貌する外界から、
ずっと取り残されているような、
そんな隔たれた空間。
そしてとてもとても静かな時間…
初めてこの光景を見たときの印象が忘れられません。
ちょっと大げさかもしれませんが、
隔絶された「幻想的な異空間」でしたね。
いきなり別世界へ迷い込んだって感じです。
こんな場所だったとは全く予想しておらず、
余計に印象深い場所となりました。
ちなみに自分にとって「幻想的な異空間」と感じたのは、
アブチラガマの出口側とガラビガマの入口と、
この手術壕の三カ所でございます。
ただ、残念ながらこの「幻想的な異空間」は、
2021年現在は存在しません。
詳しくは次回以降で説明いたします。