前回からの続きです。
旧南風原文化センターにレンタカーを止め、
そこから県道241号線の上り坂をテクテク歩いて、
10分もかからない距離でしょうか、
左手に畑が見えてきます。
現在は南風原文化センターと公民館が建っていますが、
1990年代はただの畑でした。
最初はちょっと入口が分からなかったですね。
勿論、左手を見上げれば黄金森(クガネムイ)でしたので、
そこが陸軍病院跡だということはハッキリしていたのですが、
「さて、どこから入っていけばいいのかな?」なんて、
あたりをキョロキョロしながら歩いていたのを憶えています。
スマホやグーグルマップなんて便利なものはありません。
あの頃は看板や案内板がなかったと思いますよ。
そういったものを見た記憶がないですね。
いや、あったかもしれませんが…ちょっと自信がないです。
それでも黄金森と県道を挟んで畑がありましたし、
その畑には畦道というか農道が数本あり、
そのどれかを突っ切れば、
とりあえず黄金森へ行けることは明らかでしたので、
まずは様子を見ながら歩き続けました。
すると「悲風の丘」入口といったような案内板が
沿道の鉄柵の低い場所に設置されているのを発見。
その農道をよく見ると舗装はされいていませんが、
軽トラぐらいなら余裕な道幅の砂利道(だったような)で、
しかも黄金森の奥まで続くのが見えました。
間違いなく南風原陸軍病院跡への入口です。
そのまま進んでいくことにしました。
繰り返しになってしまいますが、
現在の南風原文化センターや観光案内所や、
公民館や広い駐車場といったものは、
1990年代には全く存在せず、
一面の畑か休耕地みたいな農地でした。
沖縄戦当時は三角兵舎が建てられていたそうです。
農地や平地を一括丸々買い上げて、
様々な施設をここに集合させ移設したのでしょう。
県道も拡張工事されてますしね。
そういった意味では、
ガラッと様相が変化してしまいましたね。
戦跡が整備されることや観光地化されることに、
自分はまったく反対いたしません。
でも、慣れ親しんだ光景が消えてしまうっていうのも、
なんだか寂しい気もしますよ。
時が経つにつれ、
モヤッとボンヤリ記憶の中にしか残らないし、
写真や画像は結局、
一部分を切り取っただけのものですから…
でもこれは別に沖縄に限らず、
全てにおいて仕方がないと思いますね。
それに1990年代と2020年代といった、
長い長い年月の流れを考えると、
むしろ変化しないほうがおかしいのかもしれません。
さて、
自分の記憶に間違いがなければ、
1990年代に自分が歩いた陸軍病院跡への入口は、
現在の「飯上げの道」と呼ばれている、
観光案内所と文化センターをはさんで、
突っ切るようにして進む道と同じだと思います。
左に曲がって階段を登るコースも、
あの当時と同じだと思いますね。
参考がてら、南風原文化センターのマップを借用させていただきました。
現在は舗装され案内板もちゃんと設置されておりますから、
場所がわからないってことはありえませんね。
駐車場もバッチリ完備です。
1990年代に話を戻しますと、
「飯上げの道」の入口っていうのは、
地元の人が使う農作業のための私道っていう感じの、
なんの変哲もない場所にしかみえませんでした。
だから初めて行った時は見落としがちで、
ちょっとだけ迷ったんです。
「悲風の丘」の看板がなければ、
そこがどういったものなのか、
事前に調べない限りわからないでしょう。
上り坂になっている砂利道…だったかな?
とにかく舗装されていないその道を進んでいきますと、
コンクリート製の階段がありました。
それをさらに登っていきますと、
右側に「悲風の丘」の碑と「南風原陸軍病院壕跡」の碑があります。
上記の画像は1990年代後半に撮影したものですが、
2020年現在とあまり変わっていないかと思われます。
違いといえば石碑が少しキレイなくらいですかね。
次回以降に続きます。