慰安婦支援団体批判の被害者 歴史学習と韓日学生親善の必要性を強調
【大邱聯合ニュース】旧日本軍の慰安婦被害者、李容洙(イ・ヨンス)さんが25日午後、韓国南東部・大邱市内で記者会見を開き、慰安婦問題を解決するのは学生だけだと述べた。
李さんは会見で「日本は1000年後も1万年後も慰安婦問題のために謝罪し、賠償しなければならないが、そのためには韓日両国の学生が正しい歴史を学ぶ必要がある」と指摘。その上で、「これを実現するためには両国が親しく過ごし歴史の勉強をしなければならない」と強調した。
李さんは会見で「日本は1000年後も1万年後も慰安婦問題のために謝罪し、賠償しなければならないが、そのためには韓日両国の学生が正しい歴史を学ぶ必要がある」と指摘。その上で、「これを実現するためには両国が親しく過ごし歴史の勉強をしなければならない」と強調した。
李さんは7日に開いた記者会見で、慰安婦被害者を支援する韓国市民団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(正義連)の寄付金の使途について疑問を呈し、正義連がソウルの日本大使館前で開催している定例の「水曜集会」についても慰安婦問題の解決に役に立たないと批判した。この日の会見は2回目。
聯合ニュース 2020/05/25 17:22
日本は「1000年後も1万年後も慰安婦問題のために謝罪し、
賠償しなければならない」
…だそうです。
では、そもそもこの「従軍慰安婦」おばあちゃんは、
日本や日本軍からどんな仕打ちを受けたのでしょうか?
「私が証拠だ!」と訴えるそのおばあちゃんの証言は、
一体どんな内容だったのでしょう。
全部を全部説明するのは非常に大変な作業ですので、
2000年代以降から取り上げていきたいと思います。
2004年の証言では、
「1944年、16才の時、台湾で3年間も慰安婦をさせられた」
2007年の証言では、
「1943年、15才の時、台湾の新竹慰安所で特攻隊の慰安婦にさせられた」
「1944年、16才の時、台湾にある慰安所に連れていかれた」
2011年の証言では、
「1943年、15才の時、台湾の神風特攻隊によって慰安所へ連れていかれた」
2012年の証言では、
「1944年、16才の時、台湾の新竹にある慰安所へ連れていかれた」
2015年の証言では、
「電気の棒を使って拷問され、今でも後遺症が残っている」
とまぁ…ツッコミどころ満載ですね。
終戦後も慰安婦をやらされていたとも受け取れるし…
また、年を重ねるごとに、
よりセンセーショナルになっていきますね…
しかし飛行機オタク、軍事オタクの自分からすれば、
どうも首をかしげてしまうのが、
やっぱり特攻隊の件ですね。
つまり特攻隊員に「拉致られた」ということになるのですが、
まぁ…少なくとも1943年(昭和17年)の時点で、
特別攻撃隊は編成されていませんよ…
まぁ、いいか…記憶違いと言われればそれまでだし…
それに特別攻撃の性質上、
同じ部隊や隊員が同じ基地に留まるってことも可能性が低いって感じ。
常に移動していましたからね。
だから、どの特攻隊のことを指しているのかサッパリわかりません。
ま、特定されないようにボカシとく…
それが狙いかもしれませんがね…
また、1944年時点で台湾の新竹には慰安所が設置されていたそうですが、
空襲で破壊され、そのまま閉鎖になったそうです。
とにもかくにも、
「信じるか信じないかは、あなた次第!」な世界です。
ちなみに自分は全く信じていませんので悪しからず…