空と無と仮と

1990年代の沖縄旅行 「ひめゆり」戦跡巡り① 南風原陸軍病院⑦

いろいろと様変わりしていった南風原陸軍病院跡。
保全するという意味では、
とてもよいことだと思いますね。

それと同時に、
草藪の中をガサゴソ徘徊しては、
壕跡を独り黙々と探していたあの頃も、
興味がない人には理解してもらえないかもしれませんが、
それはそれで面白かったですよ。

1990年代はタイミングのせいかもしれませんが、
観光客や平和学習の生徒さんや児童さんも、
あまりというか、もうほとんどいなかったから、
そういった意味ではのびのびと黄金森をうろついていましたからね。

また、「20号壕」の内部公開は、
大変すばらしく画期的なものだと思います。
入場料を支払うことにはなりますが、
整備・保全の維持にはお金が必要となりますから、
ある程度の料金は徴収したほうがいいとも思っております。

ちなみに現在の「20号壕」については、
特にここで紹介・解説するつもりはありません。
出来れば実際に行って、
実際に中へ入って、
その人それぞれが何かを感じていただければ、
もう、それでいいのではないかと思うのです。

ただ、予約制で団体受付のみっていうのがちょっと…

そして、個人的に一つだけ気になることがあります。
それは新たに設置された記念碑類の中にある、
「憲法九条の碑」です。

なぜかというと、
ま、わかりやすくいえば、
「憲法九条」を頑なに守ろうとする人たちと、
自分は考え方が根本的に違うからです。

もっと具体的にいえば、
ルールを勝手に変える人と、
ルールを絶対に変えない人って、
姿勢や方向性が真逆に見えるけど、
結局は両方とも実に恣意的だということ、
自分はそのように思っております。

そこには妥協や相手の気持ちとか、
交渉や話し合いなど、
実はこれっぽっちも受け入れない姿勢がみられるのです。
だから勝手にルールを変えるのですし、
だから絶対にルールを変えないのです。

「憲法九条」を頑なに守ろうとする人たちは、
そこに「平和への希求」が込められていることでしょう。
その点については一切、
批判も否定もいたしません。

しかし、
世の中には「改憲したほうがいい」という人たちも、
少なからずいることは確かです。

護憲や改憲のどちらがいいのか、
ここでジャッジする気はありません。

ただ、自分の考え方と違う人に対して、
一切の妥協をしないその姿勢は、
要するに話し合いに応じようとしないということです。
それがはたして民主主義なのかどうか…

自分は常にそういった考えでみておるのです。
そういったわけですから、
「憲法九条の碑」が気になるのです。

かといって、
「憲法九条の碑を撤去しろ!」
なんていう訴えをする気はありません。
もし反対するどころか、
破壊行為などをするヤツらが現れたら、
それこそ「勝手にルールを変える」ヤツらそのものです。
絶対に同調してはいけません。

そういった頑なな傾向は護憲改憲の議論よりも、
「歴史認識問題」のほうが顕著になっていくのですが、
ちょっと横道にそれた気がするので、
これ以上は言及いたしません。





現在では駐車場になっているあたりから、
黄金森を見上げて撮影したものです。
右側のほうに「鎮魂の広場」や「20号壕」がある場所です…
と、思っています。
ちょっと記憶があいまいでして、なんかすいません。

ただ、黄金森自体は現在と何も変わっていませんね。
それはそれでちょっと安心しています。

皆さんも、もし興味がおありなら、
この黄金森へと足を運んでくださいな。

それは平和学習や慰霊でも、
沖縄観光のついででも、
ちょっとしたハイキングでも、
健康のためのウォーキングでも、
理由は何でもかまいません。

それぞれがそれぞれに、
それぞれの思いで、
そこで亡くなった人たちを思い出していただくだけで、
それで十分だと自分は考えております。


これで「南風原陸軍病院」編を終わりにいたします。
最後までお読みいただき、
誠にありがとうございました。

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