前回の続きです。
2020年現在では「出口」になっているその場所は、
平坦な畑に囲まれているせいか、
そこだけ「ジャングル」のような印象を受けました。
ま、初めて赴いた時の感想ですから、
ちょっと大げさかもしれないですけどね…
その中へと少し下りながら歩いていくと、
ポッカリと大きな穴が見えるのですが、
その前に「大東亜戦争…」の墓石が目につきます。
建立が1948年だそうですから、
「大東亜戦争」の名称なのでしょうね。
自分は「太平洋戦争」という名称が一番しっくりするのですが、
あの戦争のことを「第二次世界大戦」という名称にしているのが、
最近の傾向ではないでしょうか。
「大東亜戦争」はもちろんのこと、
「太平洋戦争」という名称も使われていないようです。
これは右翼・左翼のイデオロギーの変遷でもありますね。
自分としては、
あまりそういったものにはこだわりはありませんが、
イデオロギーによって変に言い換えるのも好きではありませんので、
あの戦争のことを馴染みのある「太平洋戦争」と言っています。
ま、それはともかく、
初めて見るアブチラガマは想像していたのより、
かなり大きかったことにちょっとだけ驚きました。
書籍の写真を見ていたぐらいですし、
写真自体が断片図みたいな感じですから、
全体像が分からなかったですね。
とにかく中へ入ってみようということになり、
下を覗きこんでみたのですが、
奥は暗くて全く分かりません。
それよりもなにも、
まずは急斜面を降りなければなりませんでした。
現在の「出口」は石段が設置されており、
下まで単に降りていけばいいのですが、
その当時は石段なんてありません。
もしアブチラガマを訪問なさった方が、
これを読んでいるならば、
あの石段がなかったことを想像して読んでくださいな。
かなりキツイですよ。
断崖みたいな絶壁!
とは言い過ぎかもしれませんが、
そのまま降りていくのは危険なほどの、
正に急斜面だったのです。
では、どうやって降りていくのかといえば、
たしか、木か杭で固定された2~3本のロープがあって、
そのロープを使って降りていくのです。
ハッキリいって最初はちょっと戸惑いましたね。
ガマですから暗いのは承知の上でしたし、
普通に気軽に歩いて中へ入れると、
勝手に思い込んでいたのですから…
ガマの奥は真っ暗でしたけど、
真下は陽の光が差し込んでいましたから、
ある程度見えるんです。
ロープをつかんで一歩一歩降りていきましたが、
足を踏み込むたびに「グチャ~」ってなるんです。
もう、完全にぬかるんでいるんですよね。
靴は普通のスニーカーでした。
食堂に書かれてあった「長靴貸します」の意味が、
ここで初めて理解できました。
自分たちは懐中電灯しか借りていませんから。
ロープ自体も湿っていた記憶がありますし、
自分は登山やクライミングなんか経験したことがありません。
時にはぬかるみに足を滑らし、
不安定なロープをギュッと握りしめながら、
ものすごく苦労して少しずつ降りていきましたよ。
10メートルぐらいかそこらでしょうか、
下についた時点で汗びっしょりでした。
湿度も高かったような気がします。
自分が最初に降りたから、
あとの2人を待っていました。
降りている途中で気づいたのですが、
なんか、ヤドカリの死骸というか、
貝殻みたいのがゴロゴロしていました。
その当時は普通にヤドカリだと思っていましたね。
巻貝の殻がいっぱいあったのですから…
貝殻があまりにも多くて気になったから、
その件について後日調べたんですけども、
意外や意外、
それは巻貝ではなくて「アフリカマイマイ」という、
外国産のとてつもなくデカいカタツムリだったのですね。
しかも世界最大のカタツムリです。
沖縄では戦前に、
食用として「アフリカマイマイ」を輸入していたそうです。
その殻を住民の方々がアブチラガマに捨てていたようですね。
そういうことなら納得。
現在はまったく食べないし、
90年代も既に食べていなかったはずです。
野生化しすぎて駆除対象になっていますからね。
また、元々は食用とはいっても、
「アフリカマイマイ」は危険な生物ですので、
むやみに触らないほうがいいですよ。
気持ち悪いぐらいデカくて動きが鈍いから、
チビッコたちが興味本位でつかんでみたくなるかもしれませんが、
もしそうなったら、完璧完全な手洗いをお勧めします。
友人たちもブ~ブ~文句たれながら降りてきました。
足元は全員泥だらけ。
それでも、
懐中電灯をかざして奥に進もうとしましたが…
もう、真っ暗なんです。
全長が270mもありますから、
陽が差し込んでいるのはごく一部なんです。
懐中電灯は一人一個でしたが、
ちょっと性能が悪いせいか、
あまり明るくないんですよね。
無料貸し出しだから、
あまり文句は言いたくないんですが…
奥へ入れば入るほど闇が広がっていきます。
懐中電灯は正直言って、
あまり役立ちそうにありません。
初めて中に入ったので、
どのようなルートになっているか、
どのように進めばいいかなんて、
サッパリ見当がつきませんでした。
それほど暗かったのを憶えています。
野郎3人でしたから、
特に怖いということはなかったのですけど、
少し進んだところで奥に入るのを断念しました。
恐怖というより、不安のほうが大きかったです。
前回も書きましたが、
その日の夕方には那覇空港へいかなければなりません。
どう行けばいいのか、
どのくらいの時間がかかるか…
それらに関しては見当もつきませんでしたので、
キッパリと諦めました。
帰りはあの急斜面を、
今度は登っていかなければなりません。
ぬかるみに足を滑らせながら、
更に泥だらけになりながら、
少しずつ登っていきましたね。
やっぱり、
下りより上りのほうがキツかったです。
いやはや、完全に失敗でした。
軽い気持ち、
いいかげんな気持ちで何も考えてませんでした。
まさかこんなに大変だとは…
という感じでしたね。
次回以降に続きます。