空と無と仮と

1990年代の沖縄旅行 「ひめゆり」戦跡巡り⑦ ひめゆり散華の跡

いろいろと「ひめゆり」ゆかりの地を訪ねましたが、
今回で最後になる「散華の跡」です。




荒崎海岸という沖縄の最南端ともいえる場所ですが、
どこにあるかということを長々と説明するより、
上記のグーグルマップをご覧になってください。
非常にわかりやすいですから…

ただし、当たり前かもしれませんが、
1990年代にはこのような便利なものはありませんでしたよ。

この地へ初めて訪問したのは、
マウンテンバイクで沖縄を縦断したときです。
その件につきましては、
「マウンテンバイクでほぼ縦断編」にて、
多少なりとも詳しく書いておりますので、
おヒマな方は読んでみてくださいな。




「散華の跡」という意味を非常に分かりやすく説明すれば、
「ひめゆり」のグループと教師がこの荒崎海岸まで追い詰められ、
そして手榴弾で自決をした場所です。

「ひめゆりの塔」の第三外科壕とは違った、
もう一つの悲劇ということにもなりますね。
あとは米軍の艦艇が浮かぶ東シナ海しかないという、
本当に最後まで追い詰められた場所が、
この荒崎海岸なのです。






これらの画像は1990年代から2000年代初頭にかけてですが、
他の方のブログやYoutube等で確認すると、
2020年代の現在と全く変わっていないようですね。

この石碑とゴツゴツした海岸以外は何もないようでいて、
それでいてとてもキレイな場所ですよ。
少なくとも自分はそう思っております。




上記の画像は摩文仁方面です。
正面の高い所は黎明の塔ですね。




こちらは反対側の喜屋武岬方面。

ここは東シナ海の荒々しい波の音しか聞こえません。
風が強かったら吹き飛ばされるかもしれません。
刺々しいほどの岩肌は歩きづらいです。

それでもこの場所に立ち寄ったならば、
いつも数時間はブラブラしてました。
眺望の素晴らしさと「ひめゆり」の最後という事実が、
何だか引き寄せるんですよね…自分としては。

皆さんも、
観光でも慰霊でも平和学習でも何でもいいですから、
この「ひめゆり散華の跡」を訪れてみてはいかがでしょうか。
自動車ならば「ひめゆりの塔」からは近くにありますから。
もう一度言いますが、
それはそれは綺麗な場所ですよ。





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