今月4日、松原のぶえさんが、腎臓移植手術を終えての快気会見をしましたよね。
松原さん、腎臓の機能が働かず、透析治療を続けていたけども、もうそれも限界で実弟の腎臓を移植したと。
ニュース映像を見たけど、土気色だった顔色が、すっかり普通の顔つきになってて。
移植出術の効果てき面と言ったところ。
で、こういうふうに、俳優や歌手など著名人が大病を患い、それをカミングアウトしたり、或いは密着取材させてそれをテレビで放送したり、そういうのって珍しくないですよね。
件の松原さんも、テレビ朝日がドキュメント番組で放映していたし。
ぶっちゃっけ、こういうのは吾輩、理解不能でした。
「でした」って過去形なんで、今は違うんだけど、ちょっと前まではそう感じていた次第。
“同じ病に苦しんでいる人たちの励みになれば”“勇気を与えたい”
という趣旨でやっているけど、穿った見方をすれば売名行為、お涙頂戴ドラマ、という印象を持っていたのが偽らざる気持ちで。
いや、病気に苦しんでいるその人を悪くは思っていないし、早く良くなって欲しいとも思うし、同情もするんだけど、密着取材などさせるのは如何なものか?という考えもあったんですよ。
でも、こういう闘病記って、実は多くの病人に勇気と希望とを与えているんだなあって、最近、ホント最近、理解できた次第。
同じ病気に苦しんでいる人にとっては、著名人が病気と闘う姿は、リハビリに悪戦苦闘しながらも邁進する様子ってのは、すんげー励まされることなんだなぁと。
脳梗塞で倒れ、生死をさまよい、今は元気にサッカー観戦三昧しているイビツァ・オシムさんの姿は、同じ脳梗塞患者で命ながら得た人たちにとっては、“リハビリを懸命にすれば、ああなれる”という希望を与えているんですね。
それに、長嶋茂雄さん。
長嶋さんも脳梗塞に倒れ、そのリハビリ風景が「NHKスペシャル/闘うリハビリ」で放送されたけど、今やあのVTRは、患者を励ますための重要なツールになっているんですな。
脳梗塞って、何歳でも罹る病だけど、でも多いのは50代とか60代の人で、これらの年代の方たちにしてみたら、長嶋さんはスーパーヒーローなわけです。
「病は気から」とも言うけど、気力が萎えては回復するものもしないわけで、快方に向かうための気力を、長嶋さんは与えているんだなあと。
それにしても、人間の想像力って限界があるものですね。
やっぱり当事者か、それに近い立場になってみないと理解できないことって、あるんだなぁ。
たとえば、小さな子が事故か事件で亡くなり、それがニュースで報じられたとします。
親は辛いよな、かわいそうだなあ、と同情し、時には怒りも覚えるけども、実際に父親・母親になった人間の方が、独身・子なしの人間よりも、被害者遺族の気持ちの理解度は上ですよね。
著名人の闘病記もまた同じで、その人のファンは別として、健康な人にとっては切迫度というか、身につまされる感というか、そういうのがどうも想像しづらいものです。
吾輩もかつて病気を患ったことがあるけど、どちらかというと〝マイナー〟な病で。
仮の話だけど、有名人も同じ病気で苦しんでいて、それを公表していたならば、『同病相哀れむ』じゃないけど、勇気を持ったのかもなあ。
松原さん、腎臓の機能が働かず、透析治療を続けていたけども、もうそれも限界で実弟の腎臓を移植したと。
ニュース映像を見たけど、土気色だった顔色が、すっかり普通の顔つきになってて。
移植出術の効果てき面と言ったところ。
で、こういうふうに、俳優や歌手など著名人が大病を患い、それをカミングアウトしたり、或いは密着取材させてそれをテレビで放送したり、そういうのって珍しくないですよね。
件の松原さんも、テレビ朝日がドキュメント番組で放映していたし。
ぶっちゃっけ、こういうのは吾輩、理解不能でした。
「でした」って過去形なんで、今は違うんだけど、ちょっと前まではそう感じていた次第。
“同じ病に苦しんでいる人たちの励みになれば”“勇気を与えたい”
という趣旨でやっているけど、穿った見方をすれば売名行為、お涙頂戴ドラマ、という印象を持っていたのが偽らざる気持ちで。
いや、病気に苦しんでいるその人を悪くは思っていないし、早く良くなって欲しいとも思うし、同情もするんだけど、密着取材などさせるのは如何なものか?という考えもあったんですよ。
でも、こういう闘病記って、実は多くの病人に勇気と希望とを与えているんだなあって、最近、ホント最近、理解できた次第。
同じ病気に苦しんでいる人にとっては、著名人が病気と闘う姿は、リハビリに悪戦苦闘しながらも邁進する様子ってのは、すんげー励まされることなんだなぁと。
脳梗塞で倒れ、生死をさまよい、今は元気にサッカー観戦三昧しているイビツァ・オシムさんの姿は、同じ脳梗塞患者で命ながら得た人たちにとっては、“リハビリを懸命にすれば、ああなれる”という希望を与えているんですね。
それに、長嶋茂雄さん。
長嶋さんも脳梗塞に倒れ、そのリハビリ風景が「NHKスペシャル/闘うリハビリ」で放送されたけど、今やあのVTRは、患者を励ますための重要なツールになっているんですな。
脳梗塞って、何歳でも罹る病だけど、でも多いのは50代とか60代の人で、これらの年代の方たちにしてみたら、長嶋さんはスーパーヒーローなわけです。
「病は気から」とも言うけど、気力が萎えては回復するものもしないわけで、快方に向かうための気力を、長嶋さんは与えているんだなあと。
それにしても、人間の想像力って限界があるものですね。
やっぱり当事者か、それに近い立場になってみないと理解できないことって、あるんだなぁ。
たとえば、小さな子が事故か事件で亡くなり、それがニュースで報じられたとします。
親は辛いよな、かわいそうだなあ、と同情し、時には怒りも覚えるけども、実際に父親・母親になった人間の方が、独身・子なしの人間よりも、被害者遺族の気持ちの理解度は上ですよね。
著名人の闘病記もまた同じで、その人のファンは別として、健康な人にとっては切迫度というか、身につまされる感というか、そういうのがどうも想像しづらいものです。
吾輩もかつて病気を患ったことがあるけど、どちらかというと〝マイナー〟な病で。
仮の話だけど、有名人も同じ病気で苦しんでいて、それを公表していたならば、『同病相哀れむ』じゃないけど、勇気を持ったのかもなあ。