ミニバス記録

バスケノート

虹がかかる

2025-02-11 18:47:00 | 日記
不思議と溢れた涙の理由は、あの時間の自分にはよくわからなかった。
今日は彼女らの前で涙を見せてしまった。
堪えようとしても抑えられなかった。
反省で言葉を選んで、考えているうちに、自然と溢れていた。

こうして今考えると、複雑な感情が入り混じったあの時間は、彼女らを勝たせられなかったことよりも、もっと深い理由があった。

仲間が欠け、体調不良で欠席もあり…
チームとしては、圧倒的に弱体化した状態で挑んだゲームが今日だった。
これまでスラッシャー(エース)と呼ばれるような選手は誰一人もおらず、故に厳しい戦いであって、1.2年前の彼女らであればすぐに心はズタボロにされていたことだろう。
それどころか、戦う意志を見せなかったと思う。

その過去は言葉で表せるものではない。
やる」か「やらないか」で、やらないを選び続けてしまうような子が多かった過去を持つ子がいて、または圧倒的なレベル差に打ち砕かれても尚、戦い続けてきた事実がある子もいて…
それを知っていたから、今日の内容には心がうたれた。

「〇〇がいなくても自分たちは勝つ」
その意志を何よりも感じたから。

彼女らがこの人間性を獲得したことを、心より誇りに思う。
「〇〇がいれば勝てた」というタラレバよりも、「自分たちに力がなかった」を何より知る姿を見て、我慢ができなかった。

果てしない努力を積み上げてきた者の涙があり、「別に勝っても負けても何とも思わない」と口にしていたような者がはじめて涙を流し、そして彼女らが見せた涙こそが、きっと青春というやつなのかもしれない。

やり切った先に存在した結果は敗北。
今日の涙は、彼女らがこれからも戦い続ける理由になると、俺は信じている。
終わらせる勇気があるなら、続きを選ぶ恐怖にも勝てるはずだ。

そして俺の涙は、悔しさでもなく、不甲斐なさでもなく、尊敬から来るものだった。


2025/02/11

2025-02-11 02:42:00 | 日記
人が強くなるには、孤独の時間が必要となる。
しかし孤独でありすぎるということは、人を弱らせていく。

バスケットをひたすら練習した時間、チームメイトもまた個人で練習をしていて、それぞれに目指す先は違った。
目指す先は違えど、全員で強くなろうとした方向性は一緒であり、だから孤独に取り組みながらも、1人ではなかった。

信頼における仲間がいた時、人ははじめて孤独を愛せるのだと思う。
逆に互いに疑心暗鬼である場合は、孤独である時間は苦しさともなる。

これは前にも書いたこと。
そしてここからは、最近感じたことを書く。

孤独を愛せる日は、満足いく結果が現れた時だと思う。
なぜなら、集団で固まった方が楽だから。
孤独とは1人で解決しなければならない場面が多いが、集団は決定事項も自分が意見せずとも空気感が決めてくれる。
だから1人で戦うということには、集団では得られない価値があるのだ。

時代の変わり目を生きる小中学生には、これを理解して欲しいと思っている。
スクールやクラブチームがたくさん存在し、移籍も当たり前の世の中、保護者の協力さえあれば選択肢は無限とある。
「部活動で強くなる」に限界が訪れているのが今。
だから自分が成長できる環境を自分で選んで進む力が必要なのだ。

それは、孤独の時間が作る強さ。

自分にとってホームの環境で生きることはなんとも楽で、とにかく居心地が良い。
ただ、居心地が良いと感じた時がそこでの成長の限界ともいえる。
だからその集団を離れ、孤独として、新たな世界へ飛び込むことも必要だろう。

この強さは、未来のビジョンがある子ほど持ち合わせている。
クラブチームへ進むことも、移籍することも、結局は個人が決めた道。

だから、子供達は俺が思うよりもずっと、未来を考えているのだ。
その未来のために、「今勝ちたい」と思う子もいる。


孤独を選んだ先にはリスクがある。
別れがあり、遊ぶ時間も減り… 辛い時間もあるかもしれない。
みんな1人になるのが怖いから、できるだけ安全な集団へと属するが、やはり1人の時間がなければ成長はできないと思う。

その点、将来を考えている子は多いなと感じるのだ。
しかし前述した通り、一匹狼としての孤独になれるほど人は強くない。
大切なのは、1人でいることもできるし、人とも関われること。
そして、満足がいくまで進み続けることには孤独が必要だが、その途中で出会う人々も愛せないのなら、孤独のまま終わるだけだ。

選んだ道を正解にするのは自分自身とはよく聞く言葉だが、その鍵はきっと、道で出会う人や起こることに対して愛せることなのではないか。