ミニバスは1.2年生はキッズで、最近キッズ事情を耳にした。
ミニバスキッズには関わったことがないから、非常に興味深かった。
別のミニバスに移る子はどうやらたくさんいるらしい。
人間関係がどうとかではなく、恐らくもっと上のレベルでやるために。
私のスクールにも、ミニバスキッズから連盟に登録している地元クラブに移籍した子が来ている。
意識の高さを実感すると共に、これはバスケット界の進歩だ。
価値がないと判断される環境からは、当たり前のように人は離れていく。
昔のように、みんながみんな「家から近い場所でバスケをする」の考えではなくなっている。
だからこそ、価値のない環境は淘汰されるだろう。
選手が集まらない、もしくは離れることに対して、自分自身の力のなさだと変換できない指導者のチームに発展は見込めない。
それを教えてくれたのもまた、この1年。
女子部員が集まらず、来年度から男女混合になってしまうのは、コントロールできない部分もあるが、ほとんど俺の責任。
この1年部員が増えることを祈り、自分の指導力を最後まであげることしかできなかった。
しかし俺は、残留か、移籍かの相談に対して、移籍を勧めた。
理由はただ1つ、チームよりも個人を見た時、移籍が正解だから。
来年度以降、女子というチームが機能しなくなるとしても、俺がいないこのチームでバスケットをやるよりも、強いチームに移籍した方が上手くなれると判断したから。
苦渋の決断ではあったが、これで良かったと今でも言える。
個人の未来を考えるなら、それが正解。
これは、1つの教訓である。
盤石なチームに共通している点は、指導者が豊富であること。
未来においてもし指導者をするなら、今回のように子供達を迷わないような存在でありたい。
でも、俺にも誇れる部分はある。
連盟に登録していなくても、価値のある時間を作れるようになったこと。
広い世界を知った上で、それでもこのチームでバスケットを続けた子がいた事実、スクールに来てくれた子がいたという事実は消えない。
水木土と練習して、日曜日は試合をして…
でも、別に県大会や全国大会に出ることはない。
このチームに輝かしい経歴など存在しない。
だからこそ、この場所で与えられる価値を提供し続けなければ、きっと俺の元には誰もいなくなっていただろう。
ミニバスでの練習のはじまり、スクールで月謝をもらうたびに、「この子たちを上手くする」という覚悟は決まるし、それだけがバスケットを学ぶ理由だったから。
だから、人は学び続けなければならない。
社会人になってこのまま指導者を続けない理由もこれ。
バスケットを通じて、選手として向き合い、多くの時間をかけた先に大学4年間を指導する自分に至った訳で、社会人は今からがスタート。
そんな俺にとって、指導者を続けてしまうと確実に、どちらも中途半端になる。
勉強不足で子供達に教えるほど、無責任にはなりたくない。
過去の知識と経験だけに頼って、新しい発見がない指導者のもとで教わるのは不幸だ。
もちろん、大人としてアドバイスするくらいなら、ありかもしれないが。
社会人として生きるなら、社会人もちゃんとやるべきだ。
それもまた、俺にとっての信条だった。
指導者である前に、俺がどんな人間であるかを子供達に背中で見せられればと思ってきた。
この4年で見せたのは、大学生として生きる上で、指導者としても生きた自分。
この背中からも、何か受け取れた子はいたはず。
もしくは、いつか自分が大学生になった時にわかるかもしれない。
指導者としてバスケットを語りつつ、大学生として生きる自分までも語ってみたかった。
そんな意味もあり、社会人としてレベルアップした先に指導者という道もあればと、今は考えている。
社会人として生きた先に得られた背中を、何年か先で出会う子供達に見せられればなと思うばかりだ。
その時が来るまで、社会人になってもバスケットを勉強するんだ。