昨日はあんなことを書いたが、それでも今日の女子の内容を見るに、まだ「上手くなったね」を心の底から言うことはできない…
それに、なんだか胸が締め付けられるような気分にもなった。
バスケしてて楽しいのかなと…
ここで「まだまだ」というスタンスを取ることが間違いなのはわかっている。
その言葉が、彼らから「楽しい」を奪うことを。
しかし、「上手くなった」と言うことも俺にはどうしてもできない。
それは嘘になるから。
良いものには良いものと言うってこととは、忖度することではないから。
この1年、自分なりにだいぶ優しくなったと感じるが、本質自体は一切変わることはない。
そいつ自身のためになる優しさを与えていきたいという点では、同じなんだ。
その伝え方や、メンタルが成長しただけで。
今の中1、女子は本当はまだまだなんだ。
だけど昨日、久しく中1女子の親御さんと話した内容が頭から離れない。
「中学生になったあの子たちは、今をもって褒めてほしいみたいです。」
そういえば、中1になって試合を観に行っても、「上手くなった」なんて一言も言ってないなぁ…
心から思えないことを、それでも言う必要はあるのだろうか。
そう考えている時点で、やっぱり俺自身不器用で、優しくはないのだと思う。
そして、彼らが今こんな感情を抱いていることこそが、俺のやってしまった罪だ。
当時の俺のような未熟者が彼らを苦しめてしまった。
何度も言うが、選んだ道は間違いではない。
バスケットとは、闘争とは何なのかを教えるか、あのまま遊びの延長として続けるか、どちらの道に進むべきかといえば、俺は前者だと思う。
ただ、圧倒的に接し方が間違っていた。
試合後、練習後に悪い空気を俺が引きずって、プレッシャーを与えていたクソ指導者。
上手くなっていつか心からバスケットが楽しいと思えるように、笑顔でいられるような世界を作ると決めたにも関わらず、彼女らの行き着いた先がこの残酷さであるなら、最後に俺は行動を起こさなければならない。
俺自身の心の底でそう思えていないのだとしても、「上手くなった」を最後に言う。
これが忖度だと捉えられてもいい。
ただ今は、救いが必要なのだと思う。
自分の過ちは自分でケジメをつける。