ミニバス記録

バスケノート

救い

2025-02-09 22:48:00 | 日記
昨日はあんなことを書いたが、それでも今日の女子の内容を見るに、まだ「上手くなったね」を心の底から言うことはできない…
それに、なんだか胸が締め付けられるような気分にもなった。
バスケしてて楽しいのかなと…

ここで「まだまだ」というスタンスを取ることが間違いなのはわかっている。
その言葉が、彼らから「楽しい」を奪うことを。
しかし、「上手くなった」と言うことも俺にはどうしてもできない。

それは嘘になるから。
良いものには良いものと言うってこととは、忖度することではないから。

この1年、自分なりにだいぶ優しくなったと感じるが、本質自体は一切変わることはない。
そいつ自身のためになる優しさを与えていきたいという点では、同じなんだ。
その伝え方や、メンタルが成長しただけで。

今の中1、女子は本当はまだまだなんだ。
だけど昨日、久しく中1女子の親御さんと話した内容が頭から離れない。
「中学生になったあの子たちは、今をもって褒めてほしいみたいです。」
そういえば、中1になって試合を観に行っても、「上手くなった」なんて一言も言ってないなぁ…

心から思えないことを、それでも言う必要はあるのだろうか。
そう考えている時点で、やっぱり俺自身不器用で、優しくはないのだと思う。
そして、彼らが今こんな感情を抱いていることこそが、俺のやってしまった罪だ。

当時の俺のような未熟者が彼らを苦しめてしまった。
何度も言うが、選んだ道は間違いではない。
バスケットとは、闘争とは何なのかを教えるか、あのまま遊びの延長として続けるか、どちらの道に進むべきかといえば、俺は前者だと思う。
ただ、圧倒的に接し方が間違っていた。
試合後、練習後に悪い空気を俺が引きずって、プレッシャーを与えていたクソ指導者。

上手くなっていつか心からバスケットが楽しいと思えるように、笑顔でいられるような世界を作ると決めたにも関わらず、彼女らの行き着いた先がこの残酷さであるなら、最後に俺は行動を起こさなければならない。

俺自身の心の底でそう思えていないのだとしても、「上手くなった」を最後に言う。
これが忖度だと捉えられてもいい。
ただ今は、救いが必要なのだと思う。

自分の過ちは自分でケジメをつける。


八面六臂の大活躍

2025-02-09 13:22:00 | 日記
中1バスケ部の大会を観に行ったのだが、最高に面白くて熱くなれた。
ハードなディフェンス、球際の良さ、ミニバス時代からまるで生まれ変わったかのような成長である。
1年前、最後の最後で見せた成長の片鱗は、こうして今日まで彼ら自身の手で磨き上げられている。

5人全員で戦う姿、全員でボールを回すし、みんな1on1が狙える上で、スリーという武器を持つ者、合わせに特化した者など、個性もある。
誰1人集中力を切らさず戦う姿には関心であり、それが中学で新たに出会った仲間へ伝播していることを、俺は誇りに思う。

それが、彼らの人間力なのだ。
強さと情熱、そしてやり切るという意志を兼ね備えた姿が答え。

口だけだった彼らが、こうしてプレーで俺にメッセージを伝えている。
これが成長というやつ。

なにより、楽しそうで良かった。
彼らもまた、俺にとって尊敬できる存在だ。




過去との向き合い

2025-02-09 02:46:00 | 日記
この1年という時を過ごして、導かれた答えがある。
「良いものに対して、良いとはっきり伝えること」
これが全て。
広く世界を見ればまだまだの実力だとしても、1mmの成長だとしても…
俺のかけるべき言葉はそんな個人が導いた世界を認めることだった。

例え世界ではちっぽけな存在でも、自分史上最高の結果を出したことに対して、もっと大袈裟にリアクションをしてあげるべきなのだ。
「まだまだ足りないよ」
という言葉は案外恐ろしいもので、その言葉1つで苦しむ子だっている。
俺は今まで、そこへの優しさが圧倒的に足りなかった。

俺の人生は、まだまだ足りないの連続。
親友はよく、「何も変わらない」という言葉をかけてくれて、引退と共にに知ったことはそれこそが「優しさ」だった。

でも、それは俺自身の世界観にすぎない。
その世界観を無理矢理押し付けて、認めるべきことを認めず、教え子たちを苦しめてしまった。
それが1年前であって、今年度の7月くらいまでそのやり方を続けてしまった。

これは、紛れもなく俺の未熟さであり、弱さであり、そして罪だった。
「それじゃダメなんだ」
という言葉は一体どれだけの重荷になっていたのだろうか…

「俺のやり方」を貫いただけで、個人への向き合いに欠陥があった。
それでも、彼らは着いてきてくれて、直向きな努力と共に成長したが、ちょうど1年前、全てが限界を迎えて崩れ落ちてしまう。
彼ら自身と向き合うことを怠り、そして自分自身を見失い…
このノートに空白の期間があったのは、俺が自分自身と向き合うことから逃げた時間だ。
どこまでも未熟で、不甲斐なかった。


そして、今が良ければそれで良い訳がない。
愛を与えられなかった過去は消えず、それゆえに現中1の目は暗く映る。
最後の最後まで優しさを見せなかった愚かさが、彼らからバスケットの楽しさを奪っているのだとすれば、その過去とも向き合わなければ。

可能な限り彼らの試合を見に行くのは、その側面が強い。
彼らに厳しさを与えたなら、1日でも多く彼らの試合を見に行くことは、俺の責任。

そしてそれだけではこの過ちとは向き合いきれない。
最後にかけるべき言葉は、間違った行いへの謝罪と、彼らがいたから俺がいるという感謝と、そして成長を認めること。

過ちをおかしたなら、ごめんが言えること。
生きがいだったと素直に言い切れること。
例え少しの成長だとしても、「上手くなったね」が言えること。

もし俺が成長したと言い切るならば、彼らのことが大好きならば、これだけは欠かせない。