原発は日本人にセットされた時限爆弾だ!

原発再稼動阻止のために、原発関連事項を整理して随時アップする。また、集団自衛権の行使の阻止のために同様に取り組みたい。

蓮池透著「私が愛した東京電力 福島第一原発の保守管理者として」

2016-05-23 09:46:34 | 読書録

拉致被害者蓮池薫氏の実兄で、東電で原子燃料サイクル部部長(「もんじゅ」以降の実証炉の計画を担当)を経て2009年東電を退社した蓮池透氏が3.11の事故に関連して何を述べるかを期待したが、なぜ、社内で安全神話が問われなかったの記述はなかった。

しかし、燃料サイクルは核ゴミ問題で行き詰まり、原子力は自滅の運命にあることを述べていることは、その関係者であった蓮池氏の言であり、重い。

勿論、北朝鮮による拉致についても、蓮池氏の考えが述べられている。

更に、原子力発電所の中の作業(計器保守等による被ばく)等、あるいは、東電本社の部長等の仕事が平易に説明されている。原子力に関する事実を知りたい人には一読の価値がある。

蓮池氏は生涯被曝線量100ミリシーベルトと言っているが、当ブロガーの経験から、下請け、孫請けの作業員、特に、被ばくを代償に給料を得ている汚染の除染作業を担当した作業員の被ばくは、その十倍は下らないだろう。

即ち、原発でのそのような作業は自分の命と引き替えなのである。

そして、除染とは、放射能物質で汚染した箇所の、一般的には除染し易いようにコーティング(緑色)された床の雑巾がけである。勿論、汚染している場所が目で確認できるわけではない。これが、最新の設備であるはずの原発の中での作業である。

 

また、下請け、孫請けの放射線管理責任者も、率先して汚染した高い放射能レベルの箇所へ行き、放射能レベルを確認し、除染計画を作成し、除染作業中は作業員へ適切な指示を出すので、場合によっては、除染作業員以上に多く被ばくする。

放射線管理責任者は、自己犠牲を厭わない、総じて責任感が強い人達であった。

福島第一原発の終息へ向け、率先して汚染区域へ入っているのはそのような放射線管理責任者の人達であろうことを心に止めよう。


福島原発の外部電源喪失についてー未解明、地震が原因の可能性が大

2016-05-21 10:56:04 | 原発

当ブログの「原子炉耐震設計審査指針をひもと(3)」で、外部電源および関連機器が福島の事故を経験した後でも、なお、最低の耐震性Cクラスのままであること、その不合理性を述べました。

しかし、その不合理性は、福島の事故における外部電源の喪失の原因を、真摯に検討していないこと、外部電源の喪失が津波ではなく、地震であった可能性が高いことにより、ますます大です。

このような、当然なすべきことをせずに、外部電源喪失の原因を調査せずに、自分達の望む方向に世の中を誘導しようとする東電に対しては、東電等の所有する情報を法的手段に訴え、差し押さえる必要がある。

東電の片棒を担ぐ、原因を調査せずに再稼働を推進しようとする原子力規制委員会をも糾弾すべきである。

例えば、国会事故調の調査員であった、弁護士伊東良徳氏は、福島の事故における外部電源の喪失の原因が地震である可能性が高いと下記で論証している。

https://www.iwanami.co.jp/kagaku/eKagaku_201403_Ito.pdf#search='%E5%A4%96%E9%83%A8%E9%9B%BB%E6%BA%90%E5%96%AA%E5%A4%B1%E6%99%82%E5%88%BB'

http://www.shomin-law.com/essayFukushimaSBO5.html

データ採取2016/05/21

その論証の要点は、

外部電源喪失時刻は3月11日15時37分以前であり(この点につき、東電は15時36分59秒とする*)、それに対し、第二波15時35分後の津波最大波の到達時刻が15時38分以降(最大波の観測証言も複数あるにもかかわらず、これに対し東電は写真資料を加工して発表している)と推定されることである。

一方、東電は第二波到達時刻15時35分前に非常用ディーゼル発電機が冠水すると主張する*。そうすると、電源喪失が冠水の2分後であることをどう説明するのか。

*東電資料:「福島第一原子力発電所1号機における電源喪失の調査・検討状況について」平成25年6月1日

http://www.tepco.co.jp/news/2013/images/130601b.pdf

なお、最大波が到達する前に、第二波到達の15時35分にモニタリング・ポイントの放射能レベル上昇等の未解明の事実が数々ある。

 


添田孝史著「原発と大津波 警告を葬った人々」ーーー3.11の国会事故調の調査員の報告

2016-05-20 10:01:21 | 原子力

 

原発と大津波 警告を葬った人々 (岩波新書)
クリエーター情報なし
岩波書店

東電および原発推進業界団体および規制側行政等々の広範囲の部分で、多数の作為的行動、無作為、責任を問われないような行為等々が、津波に関してだけであるが(添田氏は津波に関する調査員であるため)、詳細に記述されている。

余りにもの惨状に、内心の感情を抑えながら一ページを読み進むにも努力を要する。読むのがつらい本である。とても、内心の怒りを抑えながら一気に読み通すことは不可能であろう。

それでも、どのような無責任が原子力で罷り通ってきたかを本書によって知る必要は、ある。


原子炉耐震設計審査指針をひもとく(2)ーはしがき

2016-05-18 12:30:00 | 原子力

標記指針の時代による変遷および各種耐震設計審査指針を理解するためにもそれらの比較表(1/6~6/6)を作成した。

以下、地震工学に疎い、単なる機械技術者であった一人の感想を述べたい。

2.はしがき

(1)当初指針の「はしがき」、したがって、後続の指針のそれらにはその存在意義、なんのための指針なのかを明らかにしていない。

日本人の生命を左右する、非常に重要な指針であるという認識が感じられない。

そして、こういう重要な指針が国民一般で十分に論議されずに決定されて良いものだろうか。

(2)各指針に、「今後さらに新たな知見と経験の蓄積によって、必要に応じて見直される必要がある。」に類似の記載がある。

 このことは、現在の地震に関する知識、理論が完全ではなく、即ち、耐震設計を支える地震学、地震工学が成熟したものであるとは言えないこと、むしろ未熟、未完な学問であることを表明するものと解釈したい(なお、その性質上、永久に未完である)。

なお、当ブロガーは今日までの各研究成果を否定するものではないことは勿論である。

現在の地震学、地震工学が地球の歴史から見ればホンの一瞬の情報に基づき、そのホンの一瞬の情報を説明するためにあるという事実を考えれば容易に想到できる。そのことを認識した上での、とりあえずの耐震設計である。

ーーー広瀬氏は「原子炉時限爆弾」の中で、「本書に述べている大地震の脅威は、あくまで「現在分かっている歴史地震」を根拠に推測するものであり、ーー必ず過小評価になっていいると説く(同書193ページ)」。ーーー

しかし、その認識が耐震設計審査指針の中では、具体的に表現されているであろうか。後に該当箇所で詳細に検討したい。

現在の建築基準法および原子炉耐震設計指針がそのような未完の学問の上に成り立っていることが世の中に浸透していないことに危惧を感じる。

例えば、木造住宅は、最新耐震基準の下に建築されたものであっても、一定の割合いで(更に、地盤の流動化、滑りがあれば更にプラスされる)倒壊することが予定されているという事実を一般の人は知らない(その一例として、当ブログの「熊本地震に関連してーーー」参照)。

新耐震基準の下であれば、震度7の激震でも大丈夫という間違った安心感を抱いている。

更に、重要なことは、原子力発電所ですら、同様に、その耐震設計審査指針は、どんな地震が来ても正常に機能を保つことを保証するものではない。一定の仮定に基づく耐震性である。

但し、一定の仮定の上とは言え、原子力発電所には「想定外」という言葉は許されないのである。それを如何に担保するかが指針の役目のはずであるが、実際はどうかである。

(3)原子炉全般における準拠規格ならびに基準

旧指針にて、

建物・構築物の基準地震動S1等との組合せに対する許容限界については「安全上適切と認められる規格及び基準による許容応力度」としたが、具体的には「建築基準法」等がこれに対応する。

機器・配管系の許容限界については、「発生する応力に対して降伏応力又はこれと同等な安全性」を有することを基本的な考え方としたが、具体的には、電気事業法に定める「発電用原子力設備に関する技術基準」等がこれに対応する。

と規定されており、この規定は基本的に新指針にも引き継がれている。

 


選良であるからこそ

2016-05-15 08:44:25 | 雑感

舛添要一東京都知事私的費用の流用問題でやり玉に挙げられ足をすくわれる

姿勢が甘いと言うことでは済まないと思う。選良たるもの、厳しく自己の姿勢を正すことを常に心掛けるべき。「やることをやれば、多少の緩みは目をつぶれ」とする態度は傲慢という他ない。