ボランティアサークル「ビーンズ会」

ビーンズ会の活動内容などを紹介。
ボランティア情報や事務局長(私)の日常など・・・。

縄文への想い 今は無き湯元分校

2009-04-16 13:19:10 | 昔のこと
お天気も青空が広がる良い天気になりました。
熱も7度まで下がりかなり楽にはなってきました。このまま治ってくれるといいのだが。

私が小学校に入学したのは今から四十うん年前。皆瀬村立小安(おやす)小学校湯元分校でした(小4の2月に鉄筋3階建ての新校舎が完成、併合するまで)。全校生徒80名ほどの小さな分校です。後者は木造2階建て一部平屋、教室は2階に3部屋と平屋が音楽してで、2学年ずつの複式学級でした。校舎の前には桜の木が植えられていて、2年の頃、私と悪ガキ同級生3.4人で桜の木めがけておしっこを一斉放水。先生にこっぴどく怒られたのを記憶しています。
分校には小さな運動場(30m×40m位かな)があったのですが、川に面した土手からよく縄文土器の断片を掘り起こしていました。結構見つけた記憶があります。
また、運動場の上は畑になっていたのですが、そこからは石の鏃を幾つか発見したことも。職員室には土器の断片をつなぎ合わせたつぼもあり、ここいら辺に、昔(かなり昔)縄文人が住んでいたんだなと思うと、私の生まれたところは古い歴史があるところだと、ひとり悦になってしまうことも。
小さい頃母に聞いたのだが、皆瀬ダムが出来る前は、皆瀬川にも鮭が遡上してきて、筋子の味噌漬けなど、鮭の料理のバリエーションもかなりあったようだ。
縄文人ももしかしたら鮭を食べていたかも知れない。
それにしても、当時はどのような集落を作っていたのだろう。
教育委員会が動いて縄文遺跡の復元をしないかな。
古代浪漫よよみがえれ。
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