今時、まだ手紙を書く仕事をしている。いつも書くわけではないが、会社から割り振られたお客様を訪問した時に留守だった時、または
お住まいが遠方すぎる時、まず電話をするが、知らない番号だととらない人もよくいるので用件を伝えるために手紙を出す。
用件は営業だから、会社のチラシを入れて、会社支給の送付状を入れて送れば手紙書かなくても成立はする。
ただこれだけだと、あとで話す機会があった時に手紙は来たけど何書いてあったか忘れたと言われる率100パーセントに近い。
というわけで、送付状に手書きで何か書いておく、または100均の便箋でいちから手書きの手紙を書くなどしている。
同僚の中には自分で手紙の雛形を作り、会社でコピーして、宛先だけ変えて毎回使いまわしている人も沢山いる。
多分それが一番効率いいというかポピュラーなんだけど、古い人間としてはどうしても手書きを添えたくなってしまう。
手書きを添えたら心がこもってるって思われるかといえば、そうとも限らない時代ではあるけどね。
もともと子供~学生時代にかけて手紙大好き、日記大好きだったので手紙書ける仕事は嬉しいと思ったのだが、会った事ない相手に
売り込みの手紙を送るわけで、読んだとたんに誰もが買いたくなる文章はないというのが最近の実感だ。
何度も書き直しは当たり前なので、後の参考になるように下書きは保存してあり、昨日はそれを読み返してみた。
そこである傾向に気づく。気遣い文章はあまり喜ばれていない。簡潔が一番。何をしたいのかが相手にちゃんと伝わる表現に
成功してるかどうかだ。
手紙は書いた翌日~翌々日に読み返してよしと思えたら出してたが、成約に至らず、何か月かたって読み返すと
これじゃ成約にならないなーと思うことがある、失言はしてないし言い回しも悪くはない。でも〝変ではないだけ〟だったというやつだ。
一方、成約に至った人への手紙を読み返すと、簡潔で用件しか書いてないのだが、たまたま偶然ながらその用件の言い回しが相手に合っている。
だから用件だけしか書いてないのに誠意を感じるという不思議な?現象が起きている。
こればっかしはねー。
相手の性格や境遇の予備知識なく書いてるから博打に当たったようなもんだけどね。
だから結局、最初は失礼のない文章を書いて、あとはその後のトークで相手のバックグラウンドを聞き、そこから勝負という心
づもりが一番いいのかもね。
といいつつ、往生際が悪い私は手紙に宿る「何か」を信じていて、それを味方につけたく毎日のようにビジネス文をベースに言葉を並び替えたり
削ったり足したりを繰り返している。
きっといつかやってて良かったと思える日がくるんじゃないかと今のところ思っている。
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