同居人に平松ドクターの動画を見せた。
共感していた。
同居人が目をよく見てほしいというので、天眼鏡でよ~く見ると、なんだか穴が開いているっぽい。
『こ、これってヤバいんじゃない?』
やはり今の眼科とは呼吸が合わないような気がします。
それにしても眼科の医者って、なぜあんなに高圧的なんでしょう。
目医者っていう呼ばれ方が気に入らないんではないでしょうか。
そこへいくと耳鼻科は耳医者と言われないし鼻医者ともいわれません。
目医者だけが軽いのです。
ひとつには、眼科の疾患は命にかかわる病気ではないからでしょう。
歯医者と同列です。
それが最近では目医者でも手術が主流になってきて、テレビを見ることができなくなったら死んだほうがマシなんて思っている高齢者だっています。
目薬だって全身的な副作用が出ることもあり、先日同居人が風呂上りに吐き気がして立てなくなったのは、間違いなく目薬の副作用で血圧が急降下したからではないかと思うようになりました。
万一立ち上がったときにふらついて転倒したら、命にかかわることだってあります。
なので、高が目薬とバカにしない方がいいでしょう。
使い始めて3か月したら急に目の前がぐるぐる回るという副作用なんか、緑内障の目薬なんて、怖くて蟷螂は使いたくありません。
そのうえ医者とコミュニケーションが取れないとなると、ますます目医者の敷居が高くなります。
蟷螂が内科で紹介されて行った眼科なんかは、行ったらその場で『来週白内障の手術をします』と言われて『えっ!』と、そのまま通わなくなりました。
平松ドクターは『手術をしたがる医者もいる』と断罪していて、なるほどと思いました。
まだ50代のときに釣りから帰ってきた親父が『なんだかギラギラしてまぶしい』といって大学病院の眼科へ行ったら網膜剥離ということでレーザー。
釣りが三度の飯より好きだったから、紫外線で網膜を痛めたのでしょう。
そしてすぐに白内障の手術をしたらその直後に緑内障を発症しました。
当時は今のように簡単に眼圧を下げる薬がなかったので、縮瞳といって、瞳孔を針の先くらいまでに小さくして房水の流れをよくするくらいしか方法がなく、結局右目を失明しました。
若いころから糖尿もあったから、網膜もボロボロだったのでしょう。
また、親父の実の兄弟姉妹にも緑内障が多く、遺伝ですね。
今のように眼圧を下げる良い薬や手術があれば、失明は免れていたのではないでしょうか。
しかしながら極度に強い緑内障の薬も考え物です。
緑内障の薬の副作用で他の厄介な眼疾を発症したら、その眼疾で失明することだってあるのではないでしょうか。
医療があまりに進むと、医源病だって増えてきます。
なので老いる前に禁煙節酒を心がけ、適度な運動を心がけ、PC画面やスマホ画面は1日に使う時間を決めて、健康な老後をおくりましょう。
もっとも『禁酒禁煙はストレスだ』という御仁もいるでしょう。
人それぞれの考え方なので、全否定はしませんが…
今日は先生のサロンでした。
先生も今月下旬に81歳。
老いてなお意気軒昂です。
でも、ちょっとリスナーに意見されたら拗ねていて、否定はしませんでしたがその後はあまり変更しませんでした。
モノを書く人は、他人から過ちを指摘されることを極端に嫌います。
蟷螂は絶対に先生の書いたものに意見をしません。
むしろ新しい書き方と思うことにしています。
そうでなければ半世紀以上にわたって私淑できません。
ま、これも人それぞれですけどね。
僕の本籍は台東区今戸でした。5年前でしたか宮城県に移しましたが東京にいた時は同じ様に目医者と言っておりましたが山形・宮城では殆どの人は眼科と言っておりますよ
僕は相変わらずめいしゃと言っております。
私と弟は、なぜか医科歯科へ通っていました。
二人とも強度の近視があり、研究材料にされていたという感じです。
女医さんがものすごく美人だったことを記憶しています。
小学校4年くらいで通うことをやめました。