ローマ人への手紙 5:12 JA1955
このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・
善悪の知識の実を食べなければ、人間は永遠に生きていられる筈だったので、死ぬ事は想定外か?
むしろ、園にその木を置いておく理由は?と。
神の言いつけを守らなかった罰は死である。
つまり、上記がルール律法となっているのか?
と言うことは神の言葉「善悪の知識の実を食べた者は神に対して罪を犯したので死ぬ」という真実化した律法が初めになければ、
善悪の知識の実を食べても人間は死ななかったはずである。
アダムとイブが知識の実を食べるという神に対して犯した罪により全人類が罪人となったという顛末。
この罪をイエスキリストは人間代表として死ぬ事により帳消しにするという話にいろいろなサイトではなっているが、
罪が帳消しになったとしても老化と死は現代まで続いている。果たして罪は帳消しになっているのか?
前の記事で紹介したが、イエスキリストが死んで復活したのは、一番最初の人間の転生復活の前例ということ。
続いて、神に属する者から人間の証の者も転生すると書かれていた。転生するのは2000年後の現代である。
人は1回死んでも1回は復活するという律法を予め作って、イエスキリストはそれを人類に示したとも推測できる。*ただ解る人が今までいなかった。
神は信仰する行為を尊いと感じたので、神とキリストを信じる者は救われて永遠の命を得るという律法を作った。
この律法は2000年後の現代で適用される。
罪を犯した人類に皆同じ時代に転生させ、もう1回生きるチャンスを与えて、神の怒りを帳消しにする信仰を試されていると推測出来る。
そうとしか思えないのである。
この信じる者は救われるを適用された人間こそ、初めて原初の罪(知識の実を食べた神に対する罪と死という罰)から浄化されるとみるべきである。
*1回目の死で知識の実の罪は浄化されたのではと最新記事で書いたので、2回目は神とキリストへの信仰を試しているということだろう。つまり上記文は間違っている可能性がある。
そして聖霊によらなければ、イエスキリストは主とは言えませんという何故か狭すぎる門とするのが謎であるが。
例えば全人類がワクチン接種拒否して永遠の命を得たら、とんでもないことになりそうではある・・・。
やはり、厳選したいのだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
19 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られている。それは、すべての口がふさがれ、全世界が神のさばきに服するためである。*マスクフルチン
20 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。
21 しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。
22 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。
23 すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、
24 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。
25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、
26 それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。
27 すると、どこにわたしたちの誇があるのか。全くない。なんの法則によってか。行いの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである。
28 わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。
29 それとも、神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。確かに、異邦人の神でもある。
30 まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである。
31 すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法は確立するのである。