御霊もまた同じように、弱い私たちを助けます。私たちはどう祈ったらよいのか知りませんが、御霊自らが言葉に表せないうめきをもってとりなしをします。
人の心を知る方は御霊の思いが何であるかを知っています。御霊が神の御心にしたがって、聖なる者のためにとりなしをするからです。
バプテスマ(洗礼)とは何ですか。それは聖霊を受けて生まれ変わることに他なりません。人間が施す水のバプテスマは何の力もありませんが、神が与える聖霊のバプテスマは人を本当によみがえらせます。
*現代に置いて聖霊の洗礼を受けるとは、スピリチュアルな事ではなく、聖霊からイエスキリストと神について、そして聖霊のことを教えてもらう事である。
ネット検索すれば理解出来るが、現代のイエスキリストが誰なのかという事について言っている人がいない事がわかる。
ここを見て言えた人は洗礼を受けたと思える。*律法が解ける。
ちなみに聖霊が誰なのかという事も言えたなら律法が解けたと思える。
律法が解けた者はキリストと神に感知されるはずである。
つまり、命の書から名前が消える事はなくなるはずである。
命の書に終わりの時までに名前が記されている者は永遠の命を受ける。つまり聖書の言う本当に蘇らされるわけだ。
注意点だがキリストは人からの証明は受けないと聖書で書かれている。
上記のことは口外しない方が良いだろう。心のうちに秘めておく。
聖霊は人の霊をよみがえらせます。罪と汚れの肉に死んで、義と聖さの霊に生きるものとします。ですから聖霊はいのちの霊であり、よみがえりの霊です(ヨハネ 5:17)。
人は聖霊を受けることによって新たに生まれ変わります。この新生は人の価値を180度転換します。今まで大切に思ってきたものが無価値になり、反対におろかに見えたものが真に価値あるものとしてよみがえります(ガラテヤ 4:12)
*この世の秘密、真理を理解したなら、イルミ社会なんぞどうでもいい。
終わりの時まで余裕をもって生存出来れば良いと思えるはずである。
聖霊は私たちを罪の亡びから救いだし、あらゆる苦難から助け出します。そして聖霊は私たちの苦しみを共に苦しみ、私たちの喜びを共に喜び、生きる希望と力を与えるなぐさめ主です。
私たちは聖霊によって苦難をも喜びます。「なぜなら苦難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生みだし、練達は希望を生み出し、そして希望は失望におわることがない」ことを聖霊によって知っているからです(ローマ 5: 3-4)
*ゴールがわかれば耐えれるはずである。
聖霊は真理を教え、それを解らせる霊です。神を何か神秘的なもの、わけの解らないものとして私たちは盲目的に信じるのではありません。
神の真理は子供にでも解ります。いや、幼子のようにならなければ解らない真理です(マタイ 18: 3)。
聖霊は私たちに聖書が真理を証していること教えます。聖霊によらなければ聖書を真に理解することは出来ません。