カイブログ2

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神は、すなわち、底辺を、あえて選ばれたのである。 

2023-06-13 22:20:09 | 聖書

18十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。    

19すなわち、聖書に、「わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする」と書いてある。

 

*学歴を重視する罪人フルチンは未接種者を低学歴とバカにする。

 キリストは真実を司る神なので、罪人には真実が見えないように目隠しをし、救いにあずかる選ばれた聖徒には、「信じる者は救われる」という律法の加護の下に置く。 

 

20知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。 

21この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。 

 

*現在、世界の社会がめちゃくちゃになっている。

 

22ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。 

23しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、 

24召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。 

25神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。 

26兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。 

27それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、 

28有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。 

29それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。 

 

*神が選んだ者は、この世界でいう「底辺」である。

 神の前で偉そうにしそうな奴、罪を犯しそうな奴は要らないという事。

 

30あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。 

31それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。

 

*仮に天の国に入れても神が一番偉くて、自身の作り主だという事を忘れず謙虚にしとけということ。


何故素直にPC版を出さないのか?

2023-06-13 14:56:56 | 日記

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PS5じゃ力不足。


律法

2023-06-13 14:40:30 | 聖書

1それとも、兄弟たちよ。あなたがたは知らないのか。わたしは律法を知っている人々に語るのであるが、律法は人をその生きている期間だけ支配するものである。 

2すなわち、夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって彼につながれている。しかし、夫が死ねば、夫の律法から解放される。 

3であるから、夫の生存中に他の男に行けば、その女は淫婦と呼ばれるが、もし夫が死ねば、その律法から解かれるので、他の男に行っても、淫婦とはならない。 

4わたしの兄弟たちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのである。

  それは、あなたがたが他の人、すなわち、死人の中からよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神のために実を結ぶに至るためなのである。

 

*神に対して反逆行為をした者は神の怒りの印「罪」が頭上に留まる。

 「罪」は死なないと消滅しない。

 イエスキリストが死んで原罪を消し、神がキリストを復活させ、キリストは罪が無い清らかな状態になった。

 全人類がキリストにならって、1回死に、次に現代へ復活する。 

 罪が無い状態で復活転生した者は神との対面を果たすチャンスがある。

 

5というのは、わたしたちが肉にあった時には、律法による罪の欲情が、死のために実を結ばせようとして、わたしたちの肢体のうちに働いていた。 

6しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである。 

 

*罪を有して生きている者は「罪」に思考を支配され、死へ必ず向かう。

 死んだら「罪」は消える。現代へ転生して聖霊とイエスキリスト、神に従うのである。

 

7それでは、わたしたちは、なんと言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。

  しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったであろう。すなわち、もし律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったであろう。

8しかるに、罪は戒めによって機会を捕え、わたしの内に働いて、あらゆるむさぼりを起させた。すなわち、律法がなかったら、罪は死んでいるのである。 

9わたしはかつては、律法なしに生きていたが、戒めが来るに及んで、罪は生き返り、 

10わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。 

11なぜなら、罪は戒めによって機会を捕え、わたしを欺き、戒めによってわたしを殺したからである。 

12このようなわけで、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。 

13では、善なるものが、わたしにとって死となったのか。断じてそうではない。それはむしろ、罪の罪たることが現れるための、罪のしわざである。

   すなわち、罪は、戒めによって、はなはだしく悪性なものとなるために、善なるものによってわたしを死に至らせたのである。

 

*罪を有すと神と敵対することになるので、罪により1回死ぬ事は定めである。

 

14わたしたちは、律法は霊的なものであると知っている。しかし、わたしは肉につける者であって、罪の下に売られているのである。 

15わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。 

16もし、自分の欲しない事をしているとすれば、わたしは律法が良いものであることを承認していることになる。 

17そこで、この事をしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。 

18わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである。 

19すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。 

20もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。 

21そこで、善をしようと欲しているわたしに、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。 

22すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、 

23わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。 

24わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。 

25わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。

 

*現代で罪を有する者は、真実に気付いて思考を支配されそうになっている嘘に戦いを挑んでも必ず負けて、嘘に思考を支配される。

 だから、罪人はワクチンを絶対接種する。


背中にカビが生えるのも当たり前の時代が来た

2023-06-13 14:29:36 | コロナワクチンについて