カイブログ2

出来れば毎日更新します。

「おまえはわたしの子だ。きょう、わたしはおまえを生んだ。」

2023-12-19 23:09:50 | 聖書

詩篇 2章。

1なにゆえ、もろもろの国びとは騒ぎたち、もろもろの民はむなしい事をたくらむのか。
地のもろもろの王は立ち構え、もろもろのつかさはともに、はかり、主とその油そそがれた者とに逆らって言う、
「われらは彼らのかせをこわし、彼らのきずなを解き捨てるであろう」と。

*神の国発祥後に世界中の偉い人達が神ヤハウェと聖霊とイエスキリストに歯向かうようだ?


天に座する者は笑い、主は彼らをあざけられるであろう。
そして主は憤りをもって彼らに語り、激しい怒りをもって彼らを恐れ惑わせて言われる、
「わたしはわが王を聖なる山シオンに立てた」と。

*その時、神ヤハウェはその輩たちに対して嘲笑する。

 そして彼らに対して激しい怒りを示す。(神ヤハウェを怒らすということは、「終わり」である。)

 「神ヤハウェである私は我が王を聖山シオンに住まわせた。」 これは聖霊のことと思われる。


わたしは主の詔をのべよう。主はわたしに言われた、「おまえはわたしの子だ。きょう、わたしはおまえを生んだ。
わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え、地のはてまでもおまえの所有として与える。
おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう」と。

*以前から俺は言っているが、神ヤハウェの実子が聖霊である。


10 それゆえ、もろもろの王よ、賢くあれ、地のつかさらよ、戒めをうけよ。
11 恐れをもって主に仕え、おののきをもって
12 その足に口づけせよ。さもないと主は怒って、あなたがたを道で滅ぼされるであろう、その憤りがすみやかに燃えるからである。すべて主に寄り頼む者はさいわいである。

 

多くの人が死後天国へ行くと誤解しているが、もう俺はそれで良いと思った。

2023-12-19 22:58:05 | 聖書

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新約聖書と初期キリスト教が専門の著名な神学者であるニコラス・トマス・ライト氏(71)によると、大抵の現代人は天国を死後に行く世界と信じているが、新約聖書が書かれた時代の初期のキリスト教徒たちは、そのようには信じていなかったという。

ライト氏は昨年12月、米タイム誌に掲載した寄稿(英語)で、初期のキリスト教徒は現代人とは対照的に、天国は死後に行く場所だとは考えていなかったと強調した。
新約聖書が書かれた当時、「人は死後、天国に行く」という概念を信じていたのは、ローマ時代のギリシャの著述家で、神託で知られていたデルフォイの神官も務めたプルタルコスをはじめとする「中期プラトン主義者」たちだったという。

「イエスの最初の信者たちが死後どうなるかについて信じていたことを理解するには、新約聖書の世界観、つまりユダヤ的希望の世界観、ローマ帝国主義下の世界観、ギリシャ思想の世界観を通して新約聖書を読む必要があります。
そのような複雑な環境で育ったイエスの信者たちは『天』と『地』を双子のような被造物、つまり神の空間と人間の空間という瓜二つの被造物として見ていたのです」

ライト氏によると、初期のキリスト教徒は、神が人を地から救うのではなく、神が天と地を融合させて被造物を新しくし、この世をすべての病状から回復させてくださると信じていた。

「その後(この世をすべての病状から回復させた後)神はご自分の民を死からよみがえらせると彼らは信じていたのです。神がそうするのは、救い出して新しくした被造物をご自分の民と共有するためであり、ご自身が管理しているものを民と分かち合うためなのです」

キリストの復活は、被造物を新しくするこの偉大な御業の初穂であり、最初期の信者たちはそう理解していた、とライト氏は言う。

「イエスは『天』と『地』の完全な融合をご自身のうちに体現されました。つまり、イエスのうちに古代ユダヤの希望がついに実現したのです。ポイントは『天国に行く』ことではなく、天のいのちが地上に到来することでした」。
ライト氏はそう述べ、イエスが弟子たちに「天になるごとく、御国をこの地に来たらせたまえ」と祈るよう教えたことを指摘した。

「3世紀の頃には聖書教師の一部がこの概念をプラトン主義と融合させ、『地上を離れて天に行く』という概念を生み出そうと試みました。中世になるとこの考え方が主流になりましたが、イエスの弟子たちはそのような考え方はしていませんでした」

福音を十分に理解するには、新約聖書に流れるユダヤ的思考に気付く必要がある、とライト氏は以前、クリスチャンポストとのインタビュー(英語)で語っていた。しかし、さまざまな理由から、そのユダヤ的思考は何世紀にもわたって失われてしまったという。

「(パウロは)ユダヤ的思考や物言い、表現方法を一度もやめたことがありません。つまりパウロは、唯一なる神が真のメシアを遣わしたと信じていたのです。
時代を経る中で異教的要素を取り込んだキリスト教は、しばしばこのユダヤ的概念を無視しようとしたり、消し去ろうとしたりすることさえあります。『キリストの教え』を本質的に非ユダヤ的な宗教に変質させてしまい、パウロの主題を副題程度のものにおとしめてしまっているのです」

2世紀以降、非ユダヤ的集団は救いのメッセージを平坦化し、古代イスラエルの理解を「新興宗教的なもの」、あるいはいわゆる「救われる」というメッセージに変質させてしまった、とライト氏は語る。

そして、タイム誌に掲載した寄稿では、次のようにつづっている。

「イスラエルの正典は、神が再び戻って来られ、直接的にご自分の民と永遠に住まわれると長年約束していました。初期のキリスト教徒はそれを次のように表現しました。『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた』(ヨハネ1:14、新改訳)。
『住まわれた』という言葉は、字義通りには『幕屋を張られた、天幕を張った』という意味です。モーセの時代の荒野における『幕屋』やソロモンが建てた神殿を暗示しています」

「新約聖書を(私たちの期待に合わせて押しつぶしたり、刻んだりするのではなく)歴史に沿って学び、新約聖書独自の世界観で見るなら、初期のキリスト教徒は『死後、天国に行く』とは考えておらず、神がイエスにあって彼らと共に住むようになると考えていたことが分かります」

「現代人には、このような理解をするのは難しいです。とても多くの賛美歌や祈り、説教などが『天国に行くこと』について語っているからです」とライト氏は続けた。

米ピュー研究所が2014年に実施した宗教観調査(英語)では、米国人の72パーセントが天国を信じていると回答したが、調査では、天国は「良い生活を送ってきた人々が永遠に報われる場所」と定義されている。
同様に、特定の宗教的伝統を持たないとした人たちも、37パーセントが天国を信じていると答えている。

N・T・ライト氏「多くの人が天国について誤解している」 : 国際 : クリスチャントゥデイ (christiantoday.co.jp)

 

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聖書に死後天国へ行くとか、どこにも書いてないんだが?

俺は以前から散々言っているが、淡路シオンが神の国発祥地となり、それが天国であると聖書で例えられている。

黙示録最後に神の国発祥から1000年後に天蓋の向こう側から聖都エルサレムが地上に降りてくると書かれている。

死んでいく場所ではなく生きて向かう場所なのである。

死んだら天国へ行くと大勢が思っているが、もうそれでいいんじゃねーかな。

知らねー。


「岸田総理への寄付の92%は医師会」

2023-12-19 22:54:57 | コロナワクチンについて

その心をかたくなにする=神は人を操れる。

2023-12-19 14:00:46 | 聖書

出エジプト記 7章。

20 モーセとアロンは主の命じられたようにおこなった。すなわち、彼はパロとその家来たちの目の前で、つえをあげてナイル川の水を打つと、川の水は、ことごとく血に変った。
21 それで川の魚は死に、川は臭くなり、エジプトびとは川の水を飲むことができなくなった。そしてエジプト全国にわたって血があった。
22 エジプトの魔術師らも秘術をもって同じようにおこなった。しかし、主の言われたように、パロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。
23 パロは身をめぐらして家に入り、またこのことをも心に留めなかった。
24 すべてのエジプトびとはナイル川の水が飲めなかったので、飲む水を得ようと、川のまわりを掘った。
25 主がナイル川を打たれてのち七日を経た。

 

出エジプト記 8章。

1主はモーセに言われた、「あなたはパロのところに行って言いなさい、『主はこう仰せられます、「わたしの民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。
しかし、去らせることを拒むならば、見よ、わたしは、かえるをもって、あなたの領土を、ことごとく撃つであろう。
ナイル川にかえるが群がり、のぼって、あなたの家、あなたの寝室にはいり、寝台にのぼり、あなたの家来と民の家にはいり、またあなたのかまどや、こね鉢にはいり、
あなたと、あなたの民と、すべての家来のからだに、はい上がるであろう」と』」。
主はモーセに言われた、「あなたはアロンに言いなさい、『つえを持って、手を川の上、流れの上、、池の上にさし伸べ、かえるをエジプトの地にのぼらせなさい』と」。
アロンが手をエジプトの水の上にさし伸べたので、かえるはのぼってエジプトの地をおおった。
魔術師らも秘術をもって同じように行い、かえるをエジプトの地にのぼらせた。
パロはモーセとアロンを召して言った、「かえるをわたしと、わたしの民から取り去るように主に願ってください。そのときわたしはこの民を去らせて、主に犠牲をささげさせるでしょう」。
モーセはパロに言った、「あなたと、あなたの家来と、あなたの民のために、わたしがいつ願って、このかえるを、あなたとあなたの家から断って、ナイル川だけにとどまらせるべきか、きめてください」。
10 パロは言った、「明日」。モーセは言った、「仰せのとおりになって、わたしたちの神、主に並ぶもののないことを、あなたが知られますように。
11 そして、かえるはあなたと、あなたの家と、あなたの家来と、あなたの民を離れてナイル川にだけとどまるでしょう」。
12 こうしてモーセとアロンはパロを離れて出た。モーセは主がパロにつかわされたかえるの事について、主に呼び求めたので、
13 主はモーセのことばのようにされ、かえるは家から、庭から、また畑から死に絶えた。
14 これをひと山ひと山に積んだので、地は臭くなった。
15 ところがパロは息つくひまのできたのを見て、主が言われたように、その心をかたくなにして彼らの言うことを聞かなかった。
16 主はモーセに言われた、「あなたはアロンに言いなさい、『あなたのつえをさし伸べて地のちりを打ち、それをエジプトの全国にわたって、ぶよとならせなさい』と」。
17 彼らはそのように行った。すなわちアロンはそのつえをとって手をさし伸べ、地のちりを打ったので、ぶよは人と家畜についた。すなわち、地のちりはみなエジプトの全国にわたって、ぶよとなった。
18 魔術師らも秘術をもって同じように行ない、ぶよを出そうとしたが、彼らにはできなかった。ぶよが人と家畜についたので、
19 魔術師らはパロに言った、「これは神の指です」。しかし主の言われたように、パロの心はかたくなになって、彼らのいうことを聞かなかった。
20 主はモーセに言われた、「あなたは朝早く起きてパロの前に立ちなさい。ちょうど彼は水のところに出ているから彼に言いなさい、『主はこう仰せられる、「わたしの民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。
21 あなたがわたしの民を去らせないならば、わたしは、あなたとあなたの家来と、あなたの民とあなたの家とに、あぶの群れをつかわすであろう。エジプトびとの家々は、あぶの群れで満ち、彼らの踏む地もまた、そうなるであろう。
22 その日わたしは、わたしの民の住むゴセンの地を区別して、そこにあぶの群れを入れないであろう。国の中でわたしが主であることをあなたが知るためである。
23 わたしはわたしの民とあなたの民の間に区別をおく。このしるしは、あす起るであろう」と』」。
24 主はそのようにされたので、おびただしいあぶが、パロの家と、その家来の家と、エジプトの全国にはいってきて、地はあぶの群れのために害をうけた。
25 そこで、パロはモーセとアロンを召して言った、「あなたがたは行ってこの国の内で、あなたがたの神に犠牲をささげなさい」。
26 モーセは言った、「そうすることはできません。わたしたちはエジプトびとの忌むものを犠牲として、わたしたちの神、主にささげるからです。もし、エジプトびとの目の前で、彼らの忌むものを犠牲にささげるならば、彼らはわたしたちを石で打たないでしょうか。
27 わたしたちは三日の道のりほど、荒野にはいって、わたしたちの神、主に犠牲をささげ、主がわたしたちに命じられるようにしなければなりません」。
28 パロは言った、「わたしはあなたがたを去らせ、荒野で、あなたがたの神、主に犠牲をささげさせよう。ただあまり遠くへ行ってはならない。わたしのために祈願しなさい」。
29 モーセは言った、「わたしはあなたのもとから出て行って主に祈願しましょう。あすあぶの群れがパロと、その家来と、その民から離れるでしょう。ただパロはまた欺いて、民が主に犠牲をささげに行くのをとめないようにしてください」。
30 こうしてモーセはパロのもとを出て、主に祈願したので、
31 主はモーセの言葉のようにされた。すなわち、あぶの群れをパロと、その家来と、その民から取り去られたので、一つも残らなかった。
32 しかしパロはこんどもまた、その心をかたくなにして民を去らせなかった。

 

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現代に置き換えて考えてみよう。

岸田、バイデン、ゼレンスキー等 おかしい奴らのおかしい行動。

神は人を操れると考えれば、奇行も納得出来ると思われる。

もはやDSとかイルミとかそういう問題ではない。

神が介入してアホな政治を信仰する罪人を炙り出している。


わたしはまたカナンの地、すなわち彼らが寄留したその寄留の地を、彼らに与えるという契約を彼らと立てた。 

2023-12-19 13:57:02 | 聖書

出エジプト記 6章。

1主はモーセに言われた、「今、あなたは、わたしがパロに何をしようとしているかを見るであろう。すなわちパロは強い手にしいられて、彼らを去らせるであろう。否、彼は強い手にしいられて、彼らを国から追い出すであろう」。
神はモーセに言われた、「わたしは主である。
わたしはアブラハム、イサク、ヤコブには全能の神として現れたが、主という名では、自分を彼らに知らせなかった。  *主という名=他訳の聖書では主ヤハウェと書かれている。
わたしはまたカナンの地、すなわち彼らが寄留したその寄留の地を、彼らに与えるという契約を彼らと立てた。     *カナンの地=淡路シオン。
わたしはまた、エジプトびとが奴隷としているイスラエルの人々のうめきを聞いて、わたしの契約を思い出した。
それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい、『わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトびとの労役の下から導き出し、奴隷の務から救い、また伸べた腕と大いなるさばきをもって、あなたがたをあがなうであろう。
わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。わたしがエジプトびとの労役の下からあなたがたを導き出すあなたがたの神、主であることを、あなたがたは知るであろう。
わたしはアブラハム、イサク、ヤコブに与えると手を挙げて誓ったその地にあなたがたをはいらせ、それを所有として、与えるであろう。わたしは主である』と」。