双極性障害(躁うつ病)の星に生まれて

双極性障害(躁うつ病)を発症したのは30代になってすぐ、父親もそして弟もそううつ病で いまも苦しんでいます

退院してから

2013-03-23 00:32:41 | 日記

退院してから、しばらくは仕事を休んでいた。
上司の理解もあって大変にありがたいこと。
感謝している。

でも、それからの症状は完治したわけでもなく
妻にはすごく迷惑をかけた。

夜は全く寝れない日々が続いた。

いつだったか覚えていないが
夜中に突然、自分がおかしくなった。
おそらく追い詰められた感じになって
Emergencyに行くと暴れだした。
自分の妻が必死に止めようとしたが
今でもこの出来事は覚えているが
妻を押して、手を振り払い
一人で車に乗って病院に駆け込んだ。

今でも妻に言われる。
はじめて暴力を振るわれたと感じたと。

今でも反省している。

ごめん!

入院 4

2013-03-17 04:06:41 | 日記

入院して何日目だったか
夜中突然、救急車で一人の女性が
担架に縛られながら、そしてすごい声でわめきながら
担ぎ込まれてきた・。
次の日の朝、その女性の方はずっと泣いていたように記憶している。

そして、両手首にはためらい傷がたくさんついていた。
明らかにうつの症状だった


毎日、見舞いに来てくれた妻は差し入れを持ってきてくれた。
ちょうど長女が生まれたばかりだったがいつも一緒に来ていたと思うが
全く記憶が飛んでいて覚えていない。
いつも着替えの服を持ってきてくれていたがゴムひもなどのひも状の入ったズボンはだめ。
もちろんかみそりも一切だめ。

入院5日目、ようやく退院することができた。

入院 3

2013-03-16 02:16:40 | 日記

入院している間、
逐一チェックされているのは気づいていた。
朝・昼・夜ごはんを食べるとき
休憩中のたばこ
昼間のグループセッション
夜眠るとき

チェックされて毎日来る自分の精神科医に伝えて
退院の時期を判断していたんだと思う。

ある日、塗絵の時間があった。
その時、異常なほど集中して色を塗っていたことを覚えている。
約30分ほど無心に集中していた。
今でもよく覚えているが自分の中で色にすごくこだわりを持っていて
はじはこの色、2番目はこの色真ん中を囲っているところはこの色。

退院してからもしばらく持っていたが自分でも驚くほど
様々な色を使っていたことに感心していた。

引越しを繰り返すうちにどこかにいってしまったが
また見たいなあと思うときがある。

入院 2

2013-03-11 21:46:41 | 日記

入院してから、2・3日目。

躁状態で眠れない夜があった。

なぜか知らないが病院関係者に怒りを覚えていた自分は

夜中にナースステーションの周りで行ったり来たりしていた。

30分ぐらい経ってから、自分は個人病棟に移され、

身体中を固定され一晩そこで過ごすことになった。

あまり良く覚えていないが、確か注射を打たれて

眠らされたのでその後のことは記憶にない。

英語もろくにできない自分は

入院中だけは全て英語がわかり、しゃべっていたように記憶している。

まあ、他の人から見たらとんでもない英語だったのかもしれない。

そんな自分でも毎日、妻は面会に来てくれていた。

本当に感謝・感謝の気持ちでいっぱい。

入院

2013-03-06 23:16:16 | 日記


いろいろな躁の出来事のあと、

精神科医から無理やり入院を強制される。

合計で5日間の滞在でしたが今では貴重な体験をさせて

もらったと思っております。

入院先ではうつ病で悩む人がほとんどで

躁鬱病の患者はごく一部だったとと記憶しております。

なぜわかるかというと、毎日グループでのミーティング見たいのがあって

ほとんどの人は下を向いていて発言をしない有様。

自分と相部屋になった人は躁鬱病の患者で毎日のように

自分は明日退院するといっていた。結局、自分が退院するときも

その人はまだ病院に残っていたけれど。

でもその人からいろいろと教わった。

朝起きてから、ベッドをきちんと整えないといけない。

身の回りのものは整理整頓していないといけない。

つねに、監視されていてメモっているので要注意だよなどなど。

次回に続く