↑昭和59年4月吉日寄進 とそばの石碑に書かれていました。
翌年の昭和60年(1985)は阪神タイガースが日本一に輝いた年。まさに咆吼の虎。
18年後の2003年のリーグ優勝の時にも雄叫びを上げていたんだろうなぁ。今年も?
神農さんの守り神である張り子の虎 愛嬌もんです。(横幅7センチ×縦幅2.8センチ)
得意先に行った帰り道、薬の神さんの神農(しんのう)さんに行ってきました。
目的は狛犬を撮るためです。しかしです。出迎えてくれたのは、何と黄金の大きな虎でした
神農さんは、張り子の虎で有名な神社でもあって、神農祭が行われる時には笹にくくりつけるのですが、まさか虎の狛犬とは!と驚きました。
これは縁起がいい(トラファンにとっては)と撮ったのですが、西向きの日が頭を照らしてとび気味でした。(腕の悪さはおいとく)
でもまさに咆吼の虎です(ニコニコ)。でも一体だけです。
ヘンやな?実際の狛犬は本殿奥の暗い場所に収められ、しかも金網で囲われていて、その姿を見ることは不可能でした。
ご親切にも社務所の方にご案内までいただいたのですが、残念なことでした。
帰りに愛嬌のある張り子の虎を買って仕事場に飾りました。
神農さんは正式名を「少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)」といい、大阪市中央区(旧東区)の道修町(どしょうまち)にある薬の神様です。
道修町は薬問屋として有名で、今でも大手の製薬会社を始め、大小様々な製薬会社がひしめいています。
そこの町衆が江戸時代より守ってきたのがこの「神農さん」。
古代中国の医薬の神「神農氏(しんのうし)」と、日本の薬祖神「少彦名命(すくなひこなのみこと)」のふたつを祭神としています。中国と日本の神様を同時に祀っているのはちょっと珍しいですよね。
毎年、11月の22日・23日に神農祭が行われ、道修町全域がお祭り気分に覆われます。
大阪のお祭りは「えべっさん」で始まり、「神農祭」で終わるので「とめの祭」とも言われています。
私の生家は道修町からは離れこそすれ薬関係の仕事をしていたので、神農さんには必ずお参りしていました。
最近はとんとご無沙汰ですけど。
黄金の虎、どこにあったんかいなぁ。
神農祭、11月の22,23日です。
薬の箱でかざった七夕飾りみたいな笹飾りがたちますよ。(今でもあるのかなぁ)
明日の甲子園でのヤクルト戦が終われば、いよいよ長期遠征ロードが始まります。いよいよ勝負どころです。
実は・・・神農さんに行ったのは、恥ずかしながら昨日が初めてでした
道修町には得意先があるのでよく行くのですが、道修町のどこに神農さんがあるのか知らなかったのです。
虎の置物が無ければ見過ごしてしまいそうなビルに挟まれた小さな神社でした。
polo181さんは和歌山の方だったんですか。
和歌山はいいところですね。八月に入ったら白浜に遊びに行ってきます。
スイポテさんの生家は薬関係だったんでっか。
お嬢様やったんやね
削除して書き直してもええんやけど、このままいきます。
神農祭、今年は行ってみようと思ってます。
だって、あれだけ社務所の方に親切にされたらお礼も兼ねて行かなあかん思うし。
そうそう、神農さんは、堺筋から道修町に入ったらすぐのとこにありました。
入る時、三越のあった場所をどうしても意識して見てしまいました。
当然、もう三越は無く、別のビルが建設中でした。
あそこに昔からあったもんが無くなっているのってちょっと寂しい気持ちでした。
長谷工が、マンション建ててるらしいです。
私の三越の思い出は震災で解体された旧三越。新三越は何度か入ったけどなんか居心地わるかったような。
昼休みにときたま高麗橋の三越に行って買い物をしたことがあります。
その頃の三越は、阪急、阪神、高島屋、そうごう、大丸の他の百貨店に比べ、こじんまりとした建物で、エスカレーターも一人が立てるほどの狭いものでした。でも、どしんとした落ち着きがあり、外商で稼いでるとこは百貨店での買い物客を重視してないんや、場所も駅ターミナルなんかでなくてもええんやな、なんて思たことがありました。
その頃の三越が、スイポテさんの思い出のある三越やと思います。
震災で解体され、新築されたことは知りませんでした。
三越が、梅田のターミナルに進出するということは、外商だけでは商売が続かなくなったからでしょうか。大丸が梅田に進出して成功を収めていますもんね。
大阪駅北口あたりはヨドバシ梅田ができてから人の流れが変わったそうです。New三越も多分成功するでしょう。
それからこれは神農さんの社務所の方に聞いた話ですが、スイポテさんは近くの平野町も知ってはりますよね。
豊臣秀吉が大阪の町を作った頃は、薬種関係のあきんどを平野町に集めたそうです。
それが、大坂夏の陣で灰燼に帰し今の道修町に移り、江戸時代になって道修町が薬問屋街として定着したのだとお聞きしました。
平野町は上町台地に続く急な坂の多い町ですね。
ん?急な坂道が多いのは内平野町の方だったかな?ちとあやふや
そう、私の仕事の神さんです。
東京にいた10年近くは、ご縁が遠くなっていましたが、こちらに帰ってきたら、黄色いトラを飾っているところをよく見ます。我が家にも何匹かいます。お返ししてもよいのですが、愛嬌があるので、ついつい手元に。
今年はなんか理由をつけて、自分でおまいりに行く予定です。
うちの生家は薬といっても和漢薬の仲卸。
埃まみれのきつい仕事で、父親の代だけの商売でした。
そやから、うちらお嬢さんやないよ。
11月23日は神農さんでオフ会みたいなもんやね。私も手ぇあげます。
そう、坂のあるのは内平野町ですね。
私の通っていた小学校は、その内平野町に近い糸屋町にあるN小学校です。
小学校も坂の途中にありました。
道修町が薬の街になったのは江戸時代ですか。
製薬会社も大きな変革の時代、藤沢も山之内と一つになって本社が東京に移ってしまったんですね。
道修町もだんだん様変わりしていくのかな。