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第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争
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第九節 国鉄改革法の成立と国労本部方針の揺らぎ
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├○ 二 第四九回定期全国大会(千葉)の「大胆な妥協」方針の提起 │
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「労使共同宣言」の締結以後、国鉄当局と「宣言」締結組合の一体となった国労攻撃が本格的に展開され始めた。国労脱退者による真国労の結成により、国鉄改革推進グループはその勢力を徐々に拡大していった。「宣言」締結四組合は当局や運輸大臣のテコ入れもあり、結束を強めだし、86年7月18日に「改革労協」を結成した。当局は、余剰人員対策を実施して派遣、休職をはじめ希望退職の募集、新たに広域異動などを通じて強圧的職員管理を推進し、86年7月初めに「人材活用センター」を設置して多くの国労組合員を収容した。 総評の第75回定期大会が7月15日~18日の4日間開かれた。この大会では「労働戦線の全的統一構想案」を提出したように労働戦線の統一を推進する方向を決定することと、もう一つの重要議題が「国鉄再建闘争」であった。
86年度運動方針では、2月の臨時大会の方針で掲げられた「国会闘争の強化」「総対話運動と11月ダイヤ改定闘争」に加え、「雇用闘争のとりくみ」が示された。それは、分割・民営化による18万5000人体制に反対し、解決可能な雇用対策は社会党案しかないことを認めさせていくことである、としていた。方針提案において真柄事務局長は「社会党案の旗は降ろしませんけれど、状況的に難しいということを判断しつつ、・・・・・・雇用、組織を絶対に守る」と述べた。つまり、分割・民営化反対の方針を掲げるのが困難な状況になった、という総評方針であった。
衆参同日選挙での自民党の圧勝も加わり、国労を取り巻く情勢は厳しさを一段と増した。かかる状況のなかで、国労第49同定期全国大会が7月22日から4日間、千葉市で開かれた。初日冒頭の委員長挨拶のなかで山崎委員長は「国労としてここ2、3カ月がもっとも大切な時期である。いまやらねばならないと判断したときは、大胆に機敏に決断する塗意である。やってから、なぜそうしたのか、理由を付して機関と全組合員に明らかにする。急速な変化に機敏に対応しなければ、雇用と組織は守れない。このことなしに『旗』を掲げることはできない。雇用と組織を守る、この目的達成のため、戦術上の諸問題の決断は、当然とはいえ中央闘争委員会に一任していただきたい」と要請した。
大会では、発言者のほとんどが本部一任問題にふれ、激論がかわされた。賛成派の代議員は「私どもは、選挙闘争こそまさに組織にとって、あるいは『分割・民営化』阻止の闘いを進める上で何にもまさる重要な闘いであると位置づけをいたしました。…1・しかし同日選は、国労・小林恒人は勝利しましたが、自民党圧勝という厳しい現実について、国鉄問題が未曽有の困難な状況を余儀なくされている、そういうことを意味しています。……この敗北は組合員の胸に重くのしかかっている態があります。……雇用安定協約のない現実と選別のおどしの中で、脱退した組合員は一人として国労を批判して去る者はいない現実があります。私どもは、雇用不安があり、みずからの生活保障を自分が防衛する、国労に期待する現状にないという判断が働いている事実をどうするのだろうかという点も考えなければならぬと思います。脱退した者で国労に大変世話になった者がおりました『大変申し訳ない。子供の今後のこと、年老いた両親のこと、もしも失業したらという不安感….:』、そして『許してほしい』とあやまられたときに、私は有効な対応ができ得ない現実がきわめて残念で、胸がしめつけられる思いでいっぱいでした。私たちは理論的教育宣伝はすることができても、現実課題として本人の生活保障を具体的に伝え、そして安心感を与えるという実態について、それをつくることが急務となっている現状を知っています。……なんといってもやはり雇用安定協約がほしい、そういう組合員の悲壮な声がある」( 札幌)と発言した。あるいは「雇用不安は極限」に達し、「暴走する車から命を守るため緊急避難は当然」との意見を述べ、本部の提案を支持した。
反対派の代議員は、「私も全国大会に参加をする当日まで、実は動労と鉄労による組織切り崩し攻撃にたいして、支部内の職場の組合員と文字どおりひざを交えて討論をしてまいりました。動労・鉄労の脱退工作は、デマと中傷そのものです。たとえば、……『国労をやめて動労に来れば人材活用センターに行かなくてもいい。
国労にいればそのまま旧国鉄だよ。選別されるよ』という不安という不安を根こそぎ持ち出して、国労組合員の不安を増長させているわけであります。……しかし、この間の職場組合員の討論の中で組合員が一様にいっているのは『確かに雇用不安はある。国労にいれば選別されるかもしれない。雇用安定協約があれば安心するかもしれない。あるいは脱退者も出ないかもしれない。しかし労使共同宣言を締結しての雇用安定協約であれば必要ない。われわれは動労組合員のようにはなりたくない。あのような組合になってほしくない』といっています。『どの道を選んでも。時期が来れば選別される。だから国労が共同宣言に手を染めることだけはしないでほしい』このように大会参加をする当日まで私は訴えられてきました。……今日までの運動がそうであったように、闘いを背景にしない政労交渉や幹部の取引によって事が解決するような状況でないことは、本部を含めてだれもが承知しているはずです。だからこそ、われわれは5000万署名運動や駅の無人化、サービスの切り捨てやダイヤの改善など、職場と地域の広範な大衆闘争を結合して取り組んできたはずです。『分割・民営化』反対といって先頭に立って闘ってきました。その中で地元住民も一緒になって闘ってきました。……それを今度は、国労が『雇用と組織を守る』といって、その闘いの最前線から退却することになったとすれば、どのように見られるでしょうか」( 秋田) と本部の提案を批判した。あるいは、「後退や妥協で雇用は守れない」「分割・民営化反対で闘ってこそ雇用も組織も守れる」と主張し、提案に反対した。
大会では国労分裂を避けるため、舞台裏の折衝が続けられ、次のような集約答弁で方針案を承認した。「雇用を確保し組織を維持するため、総評と密接な連携をとりながら、現実的に大胆な対応をしていく。この基本線に沿って対処するため大会は中央闘争委員会にその扱いを一任し、緊急・重要な課題の決定については、事前または事後に機関にはかることとする」。
この決定により国労は、①あくまで雇用を確保し、組織を守ることを最重点課題とする、②このために総評の方針を支持し、全面的にその指導に従う、③組織の維持確立をはかり、組織戦を勝ち抜く、④雇用確保にあたり、いっさいの選別・差別の排除に向けて一丸となって全力をあげて闘うことになった。
千葉大会直後、国労本部はマスコミなどにも参加を呼びかけて、「人活センター調査団」を九州、北海道に派遣した。当局はこの調査団をピケを張って阻止してきたが、その模様はテレビを通じて全国に放映された。
続く